過去点検の終活ではなく、すべてはただこの修業のために。

「終活」を意識する団塊世代が
年齢別人口統計において顕著になってきた。

※団塊世代とは、1947年~1949年生まれの戦後世代のこと

タレント兼事業家のみのもんた氏は
1944年生まれで団塊世代ではないが、
現在終活しているそうです。
何でも長年糖尿病に罹患していて、
今度はパーキンソン病も発症したので
終わりがいつ来てもいいように。

本人が信じる信じないは自由ですが、
実は人間には終わりというものがない。

終わりとは死ぬことだと考えているならば
それは甚だしい誤解であり、
人は死して死なない霊なる存在であるから、
終活というのは取り越し苦労であると言える。

なぜなら自分という存在は果てしなく続くのであるから。
物理的時間軸における死という現象を通過したとしても。

元プロレスラーであり、
政治家、事業家でもあるアントニオ猪木氏は
現在リハビリ中です。
1943年生まれで彼も団塊ではない。
すでに引退してリングの外に降りてしまったが、
闘技場が変わっても
彼の闘い(人生)はまだ続いている。

私が思案するに

「死とはリングを降りてまた別のリングに行く幕間現象」

と言っても間違いではないだろうとみなす。

リングにはこの世のすべてがある。

己、対戦者、観客、ルール、反則、血、汗、涙、嗚咽、失神、応援、歓声、感涙、野次、罵倒、鍛錬の成果、師匠と弟子、仲間、裏切り、離反、期待、失望、決闘、勝利、敗北、屈辱、光と闇、権威、栄光、挫折、名声、欲望、孤独…

彼はこれらすべてを知っている。

ケガや手術は数知れず、
疲労困憊で病床についていても
まだリングの上にいる。
生きているからである。

自己であるというのは闘いであり
つらく苦しいことなのです。

さて、人工衛星もない江戸時代に
日本地図を描き出した伊能忠敬という日本人がいた。

彼はその当時の平均寿命である
32歳から44歳を超えた(諸説あり)
50歳の時に暦学を勉強し始め、
暦をより正確にするため
地球の大きさを知る必要が出た。
そのためには蝦夷地に行って
江戸までの距離を測らなければならない。
資金作りのために
幕府から提案された地図制作の条件を飲み、
55歳の時に蝦夷地に出発する。

彼の前半生は商人としてその商才を発揮し、
平穏な余生を過ごすのに十分な資産を築くことに成功した。

隠居後それでも彼の好奇心は学問に向かい、
千葉から江戸へと住居を移す。
師である天文学者の高橋至時から学ぶために。

その知への情熱はどこから来ているのだろうか?

伊能忠敬は合理性を重んじる商人だった。
そろばんが得意で数字に明るく論理を好んだ。

そんな彼がなぜ全日本地図を完成させるために
山を越え、谷を渡り、風雨に耐え、歩き続けたのか?

草履だか下駄だかを履いて
凸凹なる道を進めば、
元プロレスラーの松永光弘さんが
この痛さには音を上げた
足底筋膜炎になってしまうことにもなる。
ゴム底シューズでも足腰痛むというのに。

学び学び続け獲得するというのは
老体にムチ打ってでも果たすべきことなのか?

研究者の星埜由尚さんによると、
伊能忠敬が17年にわたり愚直に測量したのは、
世のため人のためという「公共性」があったのではないか。
現代の自己利益・効率重視社会へのアンチテーゼとして
彼の生き方を見習うべきではないかと言う。

そうとするならば
終活とは引退後、懐かしさに浸り独り呟く思い出話。

そこに好奇心はあるのか?
世界はまだまだ広くて深いことを知りもせず、
学びを放棄する気なのか?

小便を漏らし、糞を垂らし、
パンツを汚しながら道を行く。

こんな老醜を嘲笑されながらも学びを止めない。

「醜活良し。終勝さらに良し」

悪臭放つ汚物を腹に抱え込みながら
どんな死への身支度を整えようというのか。
リングにあるのは真剣勝負だけだというのに。

痩せこけ、
体がきしみ、
活力が削がれ、
朽ち果てようとする。

それでも歩み続けようと
あなたの意志はYESと言うのか。
死が無ではないという論証は
誰にもできないというのに。

富者も勝者も醜態さらして呻き苦しむこの物質界。

修業に終わりなし。

この道を行けば どうなるものか
危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし
踏み出せば その一足が道となる
迷わず行けよ 行けば分かるさ

いつか誰でも消失点などないことを理解する時代が来る。

霊活に終わりなし。

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