霊能力を持つ江原さんはなぜ霊的真理への目覚めの過程で苦しんだか?

1964年生まれで
1989年に『スピリチュアリズム研究所』を設立までに
おおよそ24年かかっている。
Wikiを参照)
つまり24歳まで「スピリチュアリズムを世に広めたい」という気持ちは
まだ確立していなかったことになる。

4歳の時に父を薬害で亡くし
15歳の時には母が亡くなり
16歳の時に姉が嫁いだので
その時から孤独な青春期を送ることになる。
同級生には親や兄弟姉妹がいて
自分を待ってくれる家があるのに、
江原氏はただ独り。
(カギっ子でさえ幸福と言えるでしょう)
18歳からはいよいよ心霊現象に悩まされ、
孤独と貧困の内で暗い夜を幾度と過ごす。

私は、なぜ霊なる存在を身近に感じ取ることができる江原さんが、
24歳になるまでこれほど紆余曲折を経て
「霊的真理」にやっと目覚めたのか不思議です。
彼には霊が見えるのですよ。
私たちには見えない霊が見える。

Seeing is Believing.(見ることは信ずることである)

霊が見える=霊が存在する⇒霊には目的がある⇒霊的世界は在る=死んでも無にならない

私の青春時代のすべてを責め苛まれた大いなる人生の疑問
「死とは無なのではないか」という苦悩。
それが彼には無かった。
代わりに孤独、貧困、心霊現象、失恋、病気(少年時代にはアトピーにも悩んだ)があったが。
(一時は自殺騒ぎを起こしている)

なぜ江原氏は霊能力があるのに
これほどの苦難を得なければならなかったのか?

答え:素直でなかったから。
人の現世的欲望が素直な心を曇らせるから。
(私もそれは例外ではなく、欲望まみれの人間です)

私は欲望を否定しない。
「人間である」とは「欲望に汚されている」ということを理解しているからだ。

もし江原さんが素直に浮遊霊の存在を受け入れ、
自分の霊能力(オーラや守護霊の霊視)の目的を素直に追求すれば、
これほど悩むことはなかった。
「他の人にはない力がなぜ私にあるのか?」と真摯に向き合えば。

ではなぜ神から霊能力を与えられた江原さんは素直になれなかったのか?

答え:彼の周りに理解者が一人もいなかったから。

彼は苦悶時代に
「人は不平等である。神も不公平である」と嘆いていたそうである。
(『シルバーバーチの霊訓』という本を読んでその誤解が解ける)

彼に霊なる世界が解説された書物を紹介する人がそばにいたならば、
(エドガー・ケイシーやルドルフ・シュタイナーなど)
きっともっとスムーズに信仰という階段を登ることができたはずだ。

どうしてそのような人がいなかったのか?

『カルマの法則』だと思う。
彼の指導霊である昌清之命は
地位も名誉も家庭も捨てた「世捨て人」だった。
孤高を愛する人であったと思う。
それが起因していると私は推測しています。
(人の心は弱くて移りやすい。そんなものに頼ってはダメだという思い込み)

要するに『類魂の法則』とは因果応報の共同責任なのです。
昌清さんのカルマが江原さんの人生に表れているという。
(善きことも悪しきこともすべて自身に返報してきます)

「昌清さん=江原さん」?

この『類魂の法則』については次に書く。

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