なぜ人は自分の死を忘れ、現世利益に邁進するのか?

『人は必ず死す』

自我に目覚め、身近な命の死を目にしたら
誰でも必ず認識する。

「俺もいつか死ぬんだ」なと。

ではなぜ人は平等に訪れる
『死』という尊厳あるテーマに触れずに、
お金だの、美貌など、健康などという
現世の快楽を追求し日々を生きるのか?

結局死のことは分からない、
どう考えても答えが出ない、
ならば死は自分には関係無いものとして
生きた方が得だ、ということだろう。

でも死は耳に入ってくる。
テレビニュースや新聞、インターネットから
どこかで誰かが死んでいるのを
否応がなしに知らされる。
それでも人は現世での幸福を手に入れようと
ガムシャラになっている。

どうして人はそうであるのか?

それは
『死というのは無ではなく、絶対の有である何かがある』
ということを魂が知っているからである。
人は死のことは分からないと思っているが、
魂はすでに脳に働きをかけて
「死は無ではない。魂は不滅であるから」
ということを人の心に内在化させているのである。
だから人が死ぬ時には穏やかに死んでいくのである。

※ただしここで例外がある。
この物質界に執着があると未練を残す。
江原氏はその魂(霊魂)は
浮遊霊になってしまい気の毒としている。
皆さんには悔いのない人生を歩んでもらいたいと思う。

我々は『不滅の魂』のことを知っている。
が自覚のないままに生きている。
もしこれを精神の上に顕在化させた時、
大いなる目覚めが新たな人生の扉を開く。

江原氏が人生を懸けて達成したいのはこれである。
もしそれが失敗に終わればどうなるのだろうか?
この文明は1回終わるのかもしれない。
そうなる前にも…

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