「学び」が絶えず挑み襲いかかってくる。

船原徹雄氏のメルマガにあった。

海外の学校の廊下には
「Risk Taking」
(リスクを取りましょう)
と書かれているそうです。

リスクとは、
「成功するか失敗してしまうのか
行動してみないと判別できないこと」

という定義だとして。

私は人生にはリスクはないと思っている。
なぜなら成功も失敗もないから。

何が成功なの?
何をおいて失敗なの?

それを決めるのはその人自身で
私から言わせればすべて学び。

よってリスクはないがタスクはあると言える。

どんなタスク(仕事)があるのだろう?

読者には申し訳ないが、はっきり言う。

『不幸』が仕事です!!

人間、不幸に陥らないと学べない。
幸福からは学ぼうとしない。
傲慢ですから。

私は2008年にこんなことを書いた。

【人生の幸せは、人生の休憩時間】

人がこの世に生きるということ、
それは苦難の連続ということ。
苦しみを感じていない人は、
意識こそしていないが
何かを求めて
もがいているはずです。

「あぁ幸せだな!」と
思える瞬間が続く時がある。
でもその時間は短いだろう?
だってそれは魂を向上させる
トレーニングでたまってしまった
“疲れ”を取る休憩時間なのですから。
残念ながら短いのです。

人の人生は短い。
その中でより神様に近づくための
トレーニングをしてほしい。
より充実した人生を終えて戻ってきてほしい。
「魂をこれだけきれいにできましたよ」って。

「一難去ってまた一難」
これがこの世の当たり前なのです。

8年前に書いたこれは
今でも変わらない意見です。
でも正直なところ、撤回したい。
なぜなら『多難=幸福』だなんて
イヤ、イヤ、イヤ!! だから。

でも不幸からは逃げられない。
生きている限り。何人たりとも。

リスク回避の思考もムダムダムダだからね。
どれだけ頭脳を巡らせても
この法則は破れない。
神の法則ですから。

肉に産まれ堕ちた我ら魂は
自身の純化向上を目指すために
物質という負荷を身にまとい、
定めた月日を過ごすという決意をした。
そして1つでもカルマの解消を成し遂げて
元いた神の一部へと還っていく。
これが魂の順路誓約だ。

これを一口に言ったら
俺たち皆、マゾヒストだってこと。

ストア派(禁欲)でもエピクロス派(快楽)でもない。

イエス・キリスト者だってこと。
自身に相応しい十字架を背負って
生きていなければならぬということ。

この真実を知ったら皆
センチメンタリストになってしまうよ…

あぁメランコリー。

error: Content is protected !!