「人間=未熟な神」
よって
「神(グレートスピリット)は完璧ではない」
「人間はこの世で修行して神を目指す」
すなわち「神は完璧なあり方を絶えず目がけている」
1、グレートスピリットがより向上を目指す存在なら、
その神をそうした・そうさせた・そうあらしめたのは何なのでしょうか?
どんな理由があったのでしょうか?
(この日本語の意味を分かって下さい)
2、何でグレートスピリットは不完全になったのか?
3、すべてのグループソウルがグレートスピリットと一体化することが
神が完璧になるということでしょうか?
それは偉大なる神のゴールですね。
一体化という物語(ストーリー)の終焉。
そういうことなんでしょうか?
4、そもそも何でそんなストーリーがあらねばならないのでしょうか?
ストーリーの誕生の意味は何なのでしょうか?
★つまりグレートスピリットが完全ではなくなったその原因は何かということです。
(ややこしくてすいません)
返答をお聞かせ下さい。
よろしくお願いいたします。
コメント
★つまりグレートスピリットが完全ではなくなったその原因は何かということです。
(ややこしくてすいません)
グレートスピリットは完全性が根拠を必要としないことだ
ということを知らなかったからではないですか?
覚りを必要とする完全性が最初から存在します。
1つのものを2つに分けた理由は自分を自覚したかったから。
その誕生の以前から無自覚に
「完全性は既にあった。」
という状態は今の世と相似ですね。
「違う点は神が悟った。あーよかった。」では終わらなかったということでしょうね。
神が悟るために必要としていた「写し鏡=人間(世界ですね)」は一人歩きを初めて、
神とは別の『意志』を持つわけですね。
(仮に全てはひとつ、であろうとも、
今はひとつではありませんし、別個の意志を持つのが事実です。)
そこで、神様は満足して、片付けをするがごとく
「おもちゃ(人間・世界)を片付けよう。」
というわけには行きません。
なぜなら、おもちゃは自分自身でもあります。
分身は悟っていません。
これの繰り返しです。
全てを悟るには部分が悟れない矛盾を克服せねばなりません。
それは低次元での悟る主体を必要とします。
源は「完全なる存在」というよりは「完全性を自覚した存在」という立ち位置で、、、
「最初は完全性を疑った存在」でもありますよね。
これはフラクタルで、、、ズート続きてきたはずです。
完全なだけでいいなら人間は必要ないはずですから。
自然は既に美しいわけで、完全な調和を示しています。
それで 時系列で言うと
下図を診てもらうとわかりますが、
覚りというのはイタチごっこなんですよね(苦笑)
原因があって、結果が在るなら・・・・
ひだりが始まりで次元が進むに連れて、一つ前は悟ると・・・。
(次元が進む) (次元が進む) (次元が進む)
神⇒次の存在 ⇒次の存在 ⇒次の存在 ⇒・・・
(前元の神は悟る) (前元の存在は悟る) (前元の存在は悟る)
・・・・⇒人間⇒(低次元の何か・・・があるかも?)
となるわけです。
ということは、人間はなにかこの先を見て悟るのは
この宇宙が生まれた原因を踏襲するわけですね(笑)
学びがないので、放置されて
勝手に同じ次元で悟ることを期待されているのではないでしょうかね?
というわけで、覚りを必要としない次元上昇とでもいうものが、
この問題の解決の糸口と鳴るわけですね(笑)
ただし・・・・
こういう視点もありますよね。
このような世界が生まれた状況を「メタ視点で見れる存在です。」
<メタ視点の上位存在X>
(次元が進む) (次元が進む) (次元が進む)
神⇒次の存在 ⇒次の存在 ⇒次の存在 ⇒・・・
(前元の神は悟る) (前元の存在は悟る) (前元の存在は悟る)
きっとこう思ったはずなんですよ。
<メタ視点の上位存在X>「おー、完全だねー。」
神が一つだった時 :(内的葛藤・私は何ものなのか!?ひとつと呼ばれた何者かは、自覚ができない)
<メタ視点の上位存在X>:既に先が見えるね・・・。
(次元が進む)
神 ⇒次の存在 :内的葛藤の発生
↓ (前元の神は悟る)
「おー、俺って完璧!だったんだー!」
<メタ視点の上位存在X>:覚りのテーマの物語のつもりはなかったんだけどなー。。。
(次元が進む) (次元が進む) (次元が進む)
神⇒次の存在 ⇒次の存在 ⇒次の存在 ⇒・・・
↓ (前元の神は悟る) (前元の存在は悟る) (前元の存在は悟る)
↓
「次を見て悟った!」の連続
ということで、
人間は「前を見て悟る」という所に特殊性があるわけですね。
これは次元が進めば進むほど顕著になります。
後悔を先に立たそうと。。。
ここからは独自解釈になります。
答えのない問題ではありますので、
仮説の一つとしてごらんくださいませ。
アセンション前までは「覚り・悟り」ということがテーマだったのだと思います。
つまり、人間とは何か?(自分とは何か?)がメインテーマだったと言うわけです。
で、神はこれに飽きた(満足した)わけですね。
で、おもちゃを片付けようと思ったんですが、それはおかしいだろと
神(おもちゃから神に格上げされた原初とは違う何者か)が言うわけです。
だから、アセンション(2010年の前後3~6年ぐらい)は
悟りアフターをどう過ごそうか?という話になって、
「幸せに生きてみようか!?」となったのではないかなと・・・・。
仮に霊的な確証を得られる
霊媒師の方がおられたら
確認してみたい所ではありますが・・・
過去、神として現世卒業をされた人達が
再度転生していると思うんですね。
世界がこの世仕様からあの世仕様に換装されていった。
それで、あの世(あるいは神界)というものが在るとして、
「上がりを経験したもの。悟ったもの」が経験する世界を
低次まで全て適用しちゃおうぜ☆
ということになしたと。
結果として、神はこの世でも学べるようになった。
それでアセンションとは何だったか?
と言うと、、、、
「過去の過ちを認める」ということだっったのではないかなと・・・・。
モナド論的な世界で言えば
「全てが独立して、全てが調和している」
という矛盾を感じる世界観があります。
この調和を担うシステムが
おそらく、神にフィードバックする(元に戻して、元から直す)
という事だと思うのですね。
モナド論的な「予定調和」は結果で、
モナドは独立しながらも相互に影響しあっているように「見える」のも結果であり、
原因は初期値に依存するのであれば、
おそらく、初期値をモナドはいじくって
干渉あっているだろうと。
つまり、人間の動向が
ビックバン以前(神がひとつから別れる前)に
フィード・バック(コミュニケーション)していて、
そもそも、世界を最初から正す効力が在る。
という世界観ですね。
そうなってくると、
アセンションの意味は変わってくるわけですね。
神「自分を自覚したい!」⇒「自覚した」⇒「この学び終わり!」
アセンションとは
「学びが完了した(自分とは何か?がわかった)r、どうする?」
というタイミングです。。。
その結果
「片付ける(修了!)」の派閥と
「再利用(転用でもいいですよね)」のグループに分かれて、
既にプレイヤーがさんざんいるので
「やってみようか、再利用」
と言った感じになったのだと御考えています。
そんなわけで、
アセンション以前の情報は後から考えれば
まるわかりなことばっかりやってます
しかし、アセンション以後は
目的が変わっているはずです。
そういう意味で言うと、
やる気が出なかった(当時)
というのも頷けますよね。
ところで、「不完全と思った」のではなく、
これは多分手段の位置です。
神のストーリーは「覚り」です。
「一体化」は人間のストーリーですよね?
ここを履き違えると、
話は間違った解釈を繰り返します。
今日はこのくらいで。
興味があればURLからお問い合わせしてくださいませ。
茨木市に私も住んでいます。
理由があれば、
私に会うこともあるかと思います。
頑張ってください。