競争のないところに経済発展はないと言い切ってもいい。

(注:これは2009年9月の記事です)

先日、歯医者さんに行ってきた。
サービスがよくて親切な対応と処置をしてくれた。
おかげで痛みも取れ、すっかり良くなった。
日本の医療技術に感謝です。

その時思った。
「なぜ日本のサービスはこんなによくなったのか?」と。

原因に『需要と供給の法則』(需給の法則)があてはめられる。

歯科医院の数が大阪府茨木市内に150件くらいある。
(市の人口は26万人だったか)
隣の市まで電車やバスを使えば歯科医院はもっとある。
患者が医院を選択できる数が増えた。
それによって医院同士の患者の奪い合いが生じた。
つまり『競争原理』が働いたのだ。

「需要が少なくて供給が多い」
(人口やニーズが増えていないのに、供給側が増える)

だから品質やサービスがよくなったと言える。

昔の自動車教習所は厳しく、
(愛のムチならまだいいが)、
教官の態度がひどかったらしい。
車内で暴君きどりの教官が野放しにされていた。
なぜか?
当時はベビーブームで出生率が高く、
人口が激増していたからだ。
腐るほど免許を取りたい生徒がいたからだ。

今ではどうだい?
生徒様様だよ。
出生率1.3人だったかな。
生徒が卒業して去れば教習所にはもう来ない。
つまり一見さん。
だから教習所の淘汰のスピードはものすごい。
(教習所の方、転職を考えておいてね)

この例から分かることは、
競争のない世界では人間性を磨けないんだよ。
(つまりワガママになる)
負けるのがイヤなら頑張りなって。
その原動力が経済をよくしてきた。
確かに競争で人間の優劣を決めるのは
傲慢なところがある。
でもみんな同一のわけがない。
だから資本主義が自由競争主義だとしたならば、
それは許容してもいいと思う。
その代わり1度負けても
次に挑戦できるというシステムを作らなければならない。
(セーフティネットと言うのかな)

「突き放すのも愛」と江原氏は言う。
(ボロボロになって敗北感に打ち負かされよ)

勝とうが負けようがどちらも“学び”になる。
そんな競争社会の日本の中にあって、
勝負を超えたところで優雅に泳いでみませんか?
勝つ喜びだけがすべてではないのですから。

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