我々は生きている。
死にたくないから生きているのか、
死がまだ来ないから生きているのか、
中途半端に生きている人が多いように思う。
つまり生きる意味が分かっていない状態のまま
漠然と生きているという。
江原啓之氏(昌清の霊)が言うように
「道行く人の表情は皆死人の顔じゃ」
それは『自覚』のないまま
生きているということを嘆いているセリフだろう。
なぜ我々は生きるのか?
生きたいという思いはなぜあるのか?
この世を生きなければ
自分の魂を磨けないという法則があるからである。
あの世という霊的世界では
成すことのできない魂の練磨。
それをこの世では「させて頂ける」のである。
ありがたいことである。
肉体という負荷を背負わなければ
魂を向上させることはできない。
人の欲望の写し絵であるこの世にあって、
肉体と共に生きることは何とも苦しい。
その経験は魂に付着する“垢”をふるい落とさせる。
それしか方法がない。
垢はアカンよ。
「生きねばならぬ」=「垢を洗い清めねばならぬ」
魂がそう願うから、
我らは生きたいのである。
「苦しかろうがな、それを乗り越えた時に感動が生ずるものじゃて。いと励めよ」
求めよ、そして成し得よ。
霊なる魂の命ずるままに。