感動は友であり自分と一体化する。友との出会いは苦難の中にある。

暑い日に汗をかいて
喉がカラカラの時に
ファンタグレープを飲む。
(ビールでもいいが、私はファンタグレープが好きだから)
最高のひと時である。
渇きを潤すという行為は感動である。
その感動をもたらすのがファンタであり、
その瞬間にファンタは親友になる。
自分以外のモノが自分を助け、
感動を与えてくれるのは
親友を置いて他にない。
喉元を心地よく過ぎ、
胃袋に入ったファンタは
もはや私から取り外すことはできない。
つまり一体化したのだ。

しかしエアコンの効いた部屋で
マンガを読みながら
ファンタを飲むとどうだろうか。
感動はそれほどない。
その時のファンタはおしゃべり相手だ。
時間つぶしの慰め以外の何物でもない。

同じファンタなのにどうして違うのか?

苦難の有無である。
暑く喉が乾くこの苦しみを解放してくれたファンタは
私に潤すという喜びを教えてくれた友であり、
そのような機会を提供したのは
苦難という教師なのだ。

私は苦難というものを否定できなくなっている。
が、それを克服する知恵と勇気を有するには
あと3度は生まれ変わる必要があるかと思う。
一歩ずつということですね。

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