下半身不随の和佐大輔にとってビジネスは、居場所確保のため。

中三12歳の夏、
テトラポッドの上に飛び込んで首の骨を折り、
それ以来肩より下は動かせない。
風呂もトイレも1人ではできない。
介添え人を要する。

施設で過ごした2年間、
オキシドールと汗と糞と小便の臭いが残る部屋の中で
独りベッドの上で疑問がよぎる。
なぜ俺は生きているのか、
なぜあの時死ななかったのか。
痛みで気の遠のくようなリハビリは
何がために俺は引き受けなければならないか。

分からない。
考えても仕方ない。
でもきっと、
これが終われば楽しいことが待っているはずさ。

無垢なる青春に陰が差し、
楽園にはもう戻れないのだということを悟るのは
その後2年もかからなかったろう。

15歳の1年間
再度施設で過ごす。
そこでは死が隣接していた。
昨日まで生きていたあの人が亡くなったって。

実存の闇が降りてきた。

俺は死なずにこうして生き残っている。
でもどうして俺たちは生きなくてはならないんだ?
なぜ人は生まれる?
なぜ死がある?
こんなにつらい思いをしてまで
人はなぜに生きたがる?

経済の社会に生きる彼も
いつしかそんな疑問はどこかへ追いやって
生計の道を模索することに忙殺される。
根源なる問いを忘却へと押しやるのが
日常に埋没した人間なのだ。
それが歴史を作ってきた。

15にもなれば
それまで気にもしなかった家の事情にも目が行く。
家にある膨大な借金と
釣り具工場の経営不振。
おまけに自分がわずかな額の障害者年金に頼る
家の者にとっては居候の身。

彼は分かってしまった。
家族はカネで苦しんでいるんだ、
カネをもたらさない自分は
お荷物以外の何者でもないことを。

おむつを替えてもらうのが
日課として定着すると
家族の者でも疲労とうんざり感を漂わす。

今はまだいいが
このままだと俺は相当厄介者だぞ。
永久に粗大ゴミとして白目で見られる。
そんなの耐えられない。

俺は自分の力でカネを稼がなければならない。
でなければ家族の中で居場所がない。

でも下半身不随の俺にどんな仕事ができる?
パソコンくらいしかない。
運よく暇つぶしのために
怪我した後に買ってもらったパソコンは得意だ。

カネがあれば解決できる。
全部がうまくいく。
問題はカネだ。
カネを得る方法だ。

週に1度の“ジャンプ”というマンガ雑誌が楽しみだった。
ページをめくり、独り架空の中にのめり込んだ。
絵と文字の世界。

もしかしたら文章なら打てるかもしれない。
それでお金を得ることができるかもしれない。
でも活字を読むのは嫌いだ。
だったらマンガや映画のシナリオを書ければどうだろう。
面白いかもしれない。

そんな時ヤフオクのことを知る。
そして「情報カテゴリー」に出会う。
へえ~こんなことでもお金が儲かるのか。
試しに買ってみるか。

これがデジタルコンテンツを販売して
億というお金を生み出すスタートだった。

釣り具工場の閉鎖や
家のローンはそれですべて完済でき、
これで家族との交流に何の遠慮も無くなった。
居場所は確保できた。
そこに安心していつでも休めるのだ。

しかし今の彼は別に悩みを持つ。
それは哲学者には答えられない。
そう、あの時に封印したはずの疑問、
生と死の問いが頭から離れないのだ。

人の思考が最後に行き着く先は
結局これなのだ。

求める者よ、
私と共に探求しよう。

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