斎藤一人氏は「悟りとは、差を取ることだ」と言う。
私たちの心には真我という魂がある。
魂は神であり、
神とは絶えず感動を求めている至福という存在である。
我々がこの世界を懸命に生きるのは、
すべては経験を通じて感動を得るがため。
(経験がなければ感動はない)
感動の集合体こそが
神の本質であると言える。
「その感動とは一体何なのか?」
感動とは、他者の経験を自己の内に見出すこと。
なぜならば自己の内に
他者の苦楽を自覚できるということは、
感動(経験)の集合体である神を自覚したことになる。
(「神に近づけたよ!!」これが感動)
その自覚を悟りと言う。
「皆さんにはこれが分かるだろうか?」
我々の魂は感動のかたまりなのだから、
他者の感動が自分の心で
明瞭に理解できるということは、
神との合一に近づいたということに他ならない。
『経験―理解―感動―悟り』
この連鎖が人生の意味であり、
理解ができなければ
輪廻転生し続けなければならない。
【結論】
★悟りとは、他人になること・他人であること。
最終的にすべての他人になることができれば、解脱できる。
それを成就した人がいる。
イエス・キリストだ。
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