唯物論的な“否定”という曇りメガネでは、真理は見えない。

私の関心は
「宗教という名の神学」(密教とも言えるかな)
に向けられていく。

これを少しずつ手探りで探求する。
霊魂、死後の世界、輪廻、カルマ、幽霊、霊能力者、
(まあオカルト関係ですね)などの本を読む。
(ほとんどが入門書や初心者向けの易しい本です)

そして己の心に絶えず問いかける。
「何で?」
「それほんとかな?」
「どうしてそれが分かる?」
「インチキだろ?」
「科学的根拠は?」

ある時気づく。
「俺自身がそういうことを考えたり興味を持っていること自体が、
それは本当かもしれないという証拠ではないのか」
と。

「我想う、ゆえに我在り」「我思案する、ゆえに我それを肯定する」てね。

素直になって公平な心でとらえようとする姿勢になってみること。

魂は死んでも無くならず、
死後の世界へ行って、
またこの世に生まれ変わる。
(輪廻転生)
未熟な部分を鍛え直すために。
(カルマの法則)

もしこの世に執着という未練を残すならば、
幽霊となってこの世を彷徨い続けることになる。
(早めに成仏してほしいと願う)
真の霊能力者と呼ばれる人はそれを探知できるそうだ。
(私は全く見えません)

UFOや宇宙人については私はあまり関心がなかったが、
超能力には関心があったのは縁でしょうか。

気功、テレキネシス、テレパシー、
未来予知、読心術、退行催眠などに。

私は、人間とは動物であって
動物ではないと思えるようになった。
人間は他とは違う。
何か得体の知れない不思議なパワーを持っている存在。
それを解放できないから、
人は悩み苦しむのではないか。

私はそのパワーを『神』と呼んでいる。
気功の気もパワーですが、
ここでは『精神の内奥に住まう静謐な存在が働きかける力』とします。

いったん人間の内部には
神という存在があると肯定し出すと、
私の悩みが次から次へと氷解していくのが分かる。
魂の不滅、輪廻転生、カルマの法則、
イエスの教えもすんなり理解できる。

同時期的に読んだ
エドガー・ケイシー、サティア・サイババ、江原啓之などの本は、
理解への加速に大いに役に立った。

ただ「ひたすら否定する」という鎧兜は
思考を鈍重にし、
肯定させようとする現象を取り逃がす。

否定からは神を見出せないのです。

絶対肯定の男イエス・キリストは正しかった。

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