地球の中にあなたがあって、あなたの中に子宮があること。

タレント・女優の青木さやかさんは
パチンコ依存症だと告白している。

私がホッと救いだと思えるのは
彼女自身それを自覚していること。

1、図書館に行ってギャンブル依存症について調べている。

脳内麻薬が出て快感を忘れられなくなるのか…

2、なるほど、それは一理あると認識している。

でも止められないのよね…

ではなぜ「分かっちゃいるけど止められない」のか?

私の考察を語る前に
まず彼女のインタビュー記事で確認してほしい。

(以下、婦人公論jpから抜粋)

かつてパチンコのことばかり考えていた時代がある。
25年くらい前、実家のある名古屋
(本当は名古屋市ではない)にいた頃から。
毎日ダルくてバイトに行くにも起きられなかったのに、
パチンコを打ちに行く時は違う。
新台オープンの為に張り切って早朝に起きた。
目覚まし時計より早く起きることができたものだ。

パチンコ友達のおじさんと店で待ち合わせして、
前日に台ごとの回転数を控えてあった紙を見ながら話す。

「35番台がいいよ」
「昨日35番台に座ってたおばさん、今日も来てる。取れないかも」
「走って35番台にタバコ置いといてやるよ」
「えー、いいの!」

そして35番台を朝一で取れた日は世界一ついてる!
という錯覚に陥った。
決してお金があったわけではないが、
その時ばかりは「1万円が100円」くらいの感覚になった。

◆そこにいけば現実を忘れられた

東京に出てきてからも、
なかなかパチンコがやめられず、
借金がかさんでいった。
お願いだからパチンコをやめてくれ、と言っていた、
当時の彼氏には「もうやめた」と嘘をつき、
バイトに行くと行ってはパチンコに通った。

パチンコ屋さんから出てくるところを
目撃される度に彼氏と喧嘩になり、
「もうやめた、信じて」と懇願し、
「いや、信じられない」という彼に抱きつき、
なし崩し的にベッドになだれこみ、
翌日何事もなかったかのようにパチンコに行った。
こんなことを繰り返すうちに、
彼は部屋から出て行った。

ひとりぼっちになったけど、
私にはパチンコ屋さんがあった。
そこにいけば名前も知らないパチンコ友達がいたし、
何しろ「仕事ない」「彼氏ない」「お金ない」
現実を忘れられた。

もちろん私だって、ギャンブルをやめたかった。
芸人としての下積みが長くて
借金を背負ったわけではなく、
ギャンブルがやめられなくて
借金を背負ったのも情けなかったし、
負けたときの喪失感と言ったらなかった。

ある日、パチンコを休み図書館に行って、
なぜギャンブルがやめられないかを調べたことがある。
その本には、リーチがかかると脳内麻薬が出て、
その快感が忘れられない、とあった。
なるほど確かに、確変中より、これは来るかも!
というリーチの方が興奮する。
これは一理あるぞ、と思ったが、
だからなんなの? となり、
その足でパチンコに向かった。

◆「やめた」のではなく「やめている」

そんな私だが、今はギャンブルをやめている。

問題なのは「やめられた」ではなく、
「やめている」という点だ。

油断をすると始めてしまう危うさは
私のどこかに存在する気がしている。
私には10歳になる子どもがいるのだが、
その子は大きな大きなストッパーになっている。
今は10歳。
あと10年経てば20歳。
きっと、私がギャンブルに行く時間もできる。
危うい。

だから私は、さまざまなものに時間を費やし、
やらなくてはならないことを増やしている。
(という側面もある)

観葉植物を育てること、器を揃えること、料理――。

最近特に多くの時間を費やしているのは、
動物愛護活動である。
数年前から保護団体(NPO法人TWFの会)の
活動のお手伝いをし、
2019年には「犬と猫とわたし達の人生の楽しみ方」
という団体を立ち上げ、
YouTubeをスタートさせた。
動物のことをやり始めると休みがない。
これはいい。

今も心のどこかで大好きなパチンコを思う。
『CRモンスターハウス』を思う。
いつか依存せぬようつき合える日まで、
今しばらくは片想いでいようと思う。

(以上)

なかなか食えない芸人時代にあって
借金をしてでも
付き合っていた彼氏に止められても
彼に嘘をついてでも
パチンコを打ち続けた。

私は彼女はパチンコ依存症ではないと思う。

現在の彼女は離婚しており、
36歳の時に生まれた娘と二人で暮らしている。

それでもパチンコの快楽を忘れられない。
「やめた」ではなく「やめている」ことができるのは
一人娘という存在があるから。

青木さんも一人娘として育つ。
兄弟姉妹は3歳下の弟のみ。

参考サイト
https://fujinkoron.jp/articles/-/1738
https://fujinkoron.jp/articles/-/2187

両親は共に学校の教師で、
仕事の忙しさから
祖母(母の母)の世話で育てられた。

教師の立場もあってか
厳しいしつけや価値観の押し付けが
強い家庭環境だった。
(青木さんはピアノを習っていた)

祖母についての言及がほぼされていないことから
特に母から厳格な教育を受けたようです。

母は大学出の綺麗な人だった(娘評価)

それでも高校生になった頃か
両親は離婚した。

どこよりも世間体を気にする教師が
離婚したとあっては、
何を子供たちに教えようと言えるのか。

それでも母は娘に自分の価値観を押し付けた。

息子である弟についても言及が少ないので、
母は長女だからなのか女だからなのか
青木さんへの教育指導に甘えを持たなかった。

その証拠に彼女は一度も
「褒められたことがなかった」
と告白している。

木村藤子さんの本に
こんな女性のことが書かれてある。

兄の嫁が体の硬直で日常生活に支障を来たし、
病院で診てもらっても原因が分からない。
兄の妹である3人姉妹が
木村さんのところに相談したら、
兄妹の母(姑)の霊が鬼と化して
首を絞めていると言う。

「この女を許すか!! 命を取るまでは!!」

理由は、姑が脳梗塞で身体が不自由になり、
話しも満足できる状態でないことをいいことに、
兄嫁は食事も与えず、おむつも換えずに放置。
たまに食事を作ってもゴミやウンコ入りの料理を与える。

「なぜ兄嫁は姑にこんな仕打ちをするようになったか?」

私は霊視できないので憶測でしかなく申し訳ないが、
おそらく兄嫁は姑に

「○○さん、(家事炊事など)こんなこともできないの?」
「XX家の女性では当たり前にできてますよ」
「XX家の長男の嫁だからもっとしっかりしてもらわないと…」

といびられたのではないか。
XX家の価値観を押し付けられたのではないか。

3姉妹の前では献身的に介護する嫁を演じていることから、
姑に対する自分のいびり方に
ちょっとかわいそうなことをしてしまったかもと
自覚を持っていることと思う。
木村さんはそう信じたいと、この話を終えている。

青木さんの母も娘に価値観を押し付けた。
そんな妻を見ていた青木さんの父も
いつしか嫌悪感を抱くようになり
子育てについて口論があったのかどうか
離婚を切り出し別離を決意した。

母が息子(青木さんの弟)に対する教育がどうであったか
ネットで調べても出てこないので私の憶測だが、
母の教育熱が姉にばかり集中して
弟には精神的ダメージは少なかったと思われる。

この母は夫(青木さんの父)の臨終を
息子(弟)といっしょに見届けている。

ということは
父母の離婚は価値観の相違が原因であり、
男性自体への憎悪ではないことが分かる。

「なぜ母が娘にだけは厳しい教育に当たったのか?」

母は彼女の母(青木さんの祖母)から
厳しく育てられたのではないか。

戦前の厳しい軍事教育下で育った祖母。
(もしかすると夫を早くに亡くしたのかもしれない)

戦後の物資の乏しい日本で
子だくさん*な家庭を支える祖母の苦労を
母は間近で見ている。
(長女だったのかもしれない)

*母には親戚があることから兄弟姉妹がいると推測できる。

「女は男性に依存していてはダメだ!」
「自分独りになっても生きていく力を身につけないと…」
「母親は子供になぜか甘くなる。特に娘には」
「それではいざという時に困るのは娘の方だ」
「娘が惨めな人生を歩むことになったら親としての私の責任」
「子育て教育に甘えは禁物よ!」

結婚したら仕事を辞めるのが一般的な日本の慣習。
昭和時代なら尚のこと。
ましてや出産したら、女は外で仕事はしないもの。

だが母はその慣習を無視して
教師の仕事を続けた。
その甲斐もあってか小学校の校長まで登り詰めた。

仕事仕事は男だけで十分ではないかと諭す夫にも
頑として妥協せずに仕事を選ぶ。
男と結婚した覚えはないとして
ついに夫の方は離婚を選ぶ。
2人とも頑固者同志だろう。

私には青木さんの母がこう叫んでいるように聞こえてならない。

女はね、外見で男から評価されるの。
女は歳を取れば取るほど幸福からは遠ざかるの。
その証拠に40を超えたババアが結婚再婚なんて無いでしょ。
さやかはね、美人じゃない。
ブスなあなたが生きていくには教養を身につけるしかないの。
他の女たちよりも頑張るしかないの。
あなたの娘もはっきり言ってブス。
だからお見舞いに来てくれた病室でも
私が教育指導をしてあげなきゃダメなわけ。
言葉に出して本人に、あんたはブスだからと言ったら
女なら誰でも心に深く傷ついて立ち直れない。
それなら私の価値観教育で育てるしかなかったの。

この世は不平等。
でも頑張る女は頑張らない女よりも幸せになれる。
他の女が甘やかされている間にあなたは頑張るの!
私は教師として手本を示した。
女でもここまでできるのだと生徒たちに示した。
さやかは女に生まれたの。
それを覚悟して生きてもらいたい。

青木さやかさんはパチンコ依存症ではない。

パチンコでリーチがかかると
あんたはよく頑張っているねと褒めてくれているよう。
フィーバーが出たら
満面の笑みでご褒美をもらっているかのよう。

1度だけでもいい。
お母さんに認めてもらいたかった。
褒めてもらいたかった。

母親にされたことのない褒められる行為を
パチンコが代わりにしてくれている気がした。

「ああ言えばこう言う」なんて
へそ曲がりな人間ではない機械。

犬や猫は飼い主に評価を下すなんてしない
素直な生き物。

褒めることもできないあんな母親に
私のかわいい娘を触らせるものですか!
私が母から受けた不幸は私でたくさんよ!
娘は私が育てる!

でも…
私が娘に向かって
母みたいな毒親になったらどうしよう…

厳格な母の意図を理解しない娘。
褒めてくれないのは嫌いだからと勘違いする娘。

自分の一人娘に幸せな人生を歩んでもらおうとするために
鬼にでもなってやろうと決意した母。
30過ぎても結婚できず
36になってやっと出産できた娘を見て、
まだまだ厳しさが足りなかったかなと反省した母。

両者の価値観のすれ違いは
母が死んでも平行線のままだった。

霊視のできない私はこのブログで
青木さやかの母の本音を
娘に伝わってくれることを信じている。

「それにしてもこの親子はどうすれば良かったのか?」

まず母親とはどんな存在であるべきかの定義を知ること。

『受容力』

女が子を持ち母となる。
その子がどうであれ
自分を選び、自分の内部に出現し、
あなたの子として生まれてきた。

女の仕事である出産は気にくわないか?
デキの悪い子なら欲しくはなかったか?

であるならば女を捨てて男にでも鬼にでもなればいい。

「私は女」

生命が宿るはずの下腹部の空洞から
毎月必ず、そんな叫び声がこだまする。

一生に一度は
華を咲かせ、種子を招き、実りを得たい。
それがなくては何だか切ない。

であるならば女を受け入れろ。
ケチも文句も無しに我が子を受け止めてやれ。

自分の子も信じてやれずして
子はどう自信を持って生きていける?

「子を許し、信じ、支え、華であれ」

これが母の役割であり、
初潮を迎えたすべての女性は
女になったことを受け入れなければならない。
それが宿命だ。

胎児は母体に、乳児は母に、子は親に
依存して生きている。

人は誰でも神の懐にて生かされていることを知るべきだ。

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