人間は只のモノではない。カラダという物質を軽々しく扱ってもいけない。

奥浩哉氏のマンガ『GANTZ』36巻を読んだ。

あらすじなどはGANTZの
Wikiからお願いします。

気になるところがあったので言わせて頂く。
※単なる感想と批評です。抗議ではありません。
めちゃ面白いから皆さん読んでね♡

この記事の一番下にある写真のマンガを読んでほしい。
(36巻の真ん中あたりのページです)

“真理の部屋”という場所で、
人間の顔がはめ込まれた異形の者が
「人は只のモノであり、感情や思考は微弱な電流の現象に過ぎない」
「それは複雑な電化製品と同じようなものだ」と断言する。
(ストーリー上で、むやみに人の体を再生したり破壊したりする。グロい)

主人公の仲間の一人が言う。
「魂は存在しないのか?」

異形の者は答える。
「それは約21グラムの情報のことだ」
「個体が死んだら、情報は違う次元に移動し、違う個体に生まれ変わる」
「次元で関係を持ったモノは永遠に関係が続いていく」

私の感想と批評です。

・魂に重さがあるかどうかは私には分かりません。

この映画を参照にしてると見る

・確かに人間の肉体は物質でできている。
電気信号も流れている。
それはこの物質世界を根拠にして
作られているから当然でしょう。
ですがモノだからと言って
粗末にするのはいけない。
なぜなら人の肉体は魂を鍛えるために
なくてはならないものだからです。
つまり肉体がないと魂は成長できないということです。
それは物質界であるこの世で生きなければ
魂は向上できないということをも意味します。

・肉体が死んで情報(魂)がまた違う肉体に移動する、のは正しい。
(輪廻転生のこと)

・今世で関係の深かった者が来世・来々世で関係していく、のも正しい。
(ご縁は永続します)

・作者の奥氏のこの考え方にはまだまだ不十分で説得力に欠ける。

1、なぜ情報(魂)は異次元へと移動し個体に入ることを繰り返すのか?
2、またどんな理由があってその個体を選択されるのか?
3、そもそも情報はなぜ存在するのか、存在しなければならないのか?
4、そして人が単なるモノであるならば、慈悲と呼ばれる感情はなぜ想起されてくるのか?

★上記の疑問に対する私の答え

1、違った時代や環境を経験することによって、
より多くの感動と経験を積むため。

2、その魂が学びたいという事柄に適した
環境、国、人種、地域、家族、性差などを自らが選ぶ。

3、我々の魂は(未熟であるが)神であり、
その神が存在しないというのは「無」である。
我々は「闇という無」を選択することができる。
だがそれは何よりも苦しい。
魂は愛の光で包まれているため、
いや、光そのものであるがゆえに、
闇にすることは難しい。

Q:なぜ神である我々は未熟なのか?
A:我々は多様な欲望を持っているため。

Q:なぜ我々は欲望を持っているのか?
A:我らは神であるがゆえに欲を持つことができる。
欲することを大いなる神が許した。

Q:なぜ欲望というものがあるのか?
A:欲という不純物を内包させることによって、
それを除去した時の感動はひとしおであるがため必要。

4、他者のために湧き起こる感情は愛の芽生え。
他者を通して「我らはすべて1つ」ということを知る。

私は単行本で読んでいるので、
36巻以降の続きを読んでません。
この問いに答えるシーンが今後出てくるかもしれませんが、
今は僕の感想までです。
奥さんのマンガのファンです。
これからも応援していきたいと思っています。


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