リーダーに向いていない。ましてやリーダーを育てることなんて無理。

私は過去に経営コンサルタントを目指したことがあるが、
自分の働いている会社も変えられないようじゃ
コンサル失格だとして辞めた。
そして自分の家族すらも
「学ぶ喜び」を与えていない私は
日本社会に向かって何も与えることができない。
だから私はリーダーにはなれません。

佐々木浩一さんも同じみたいですね。

しょせん他人を変えることなんて不可能。
であるならば木坂健宜氏が言うように
「自分の背中を見せ続ける」ことくらいしかできない。

本やブログを書いてもムダ。
動画でしゃべってもムダ。
講演やセミナーで話してもムダ。

自分を変えて行くことを意志するだけの
孤高な生き方を意識するにとどめようと思う。

皆が苦難こそメンターだと気付くまで。

(以下佐々木さんのメルマガの抜粋)

おはようございます!
佐々木です。

昨日、ひとつ気づきがありました。

感謝の謝が「謝る」という字だって、
気がついたのです。

心からの謝罪が出来ない人に
愛も感謝も感じられないのだって
気がつきました。

どうしてそう思ったのかというと、
自分が正にそれだったからです。

僕の人生は怒りに満ちたものでした。
怒りは罪悪感の正当化でした。
結局、被害者意識の固まりだったんだ
ってわかってきました。

自分が未熟が故に一番迷惑をかけた人、
それは家族です。

過去40年間、
息子として夫として父として、
僕は自分勝手な人間でした。

自分の身勝手さでいっぱいいっぱい
悲しい思いや残念な思い、
そして何度も失望させてしました。

僕は今まで家族に恥じない生き方を
してきていませんでした。

そして今、そのことを深く反省しています。
僕は心から謝罪します。
このような生き方をもう二度と
しないという決意をしました。

今まで行いを謝罪し、
こんな僕を諦めずにいてくれて
本当に感謝したいと思います。

そして心から家族を愛していきます。

生きて行く上での土台というか
基礎になる部分は何だろうかって
最近、特に考えるんです。

習慣が人生をつくっているのは
わかるんですが、
良い習慣を身につけられる自分づくりの
土台になる部分はどこなんだろうって。

そう考えると出て来るものって
やはり、愛や感謝だったりします。
でも、愛や感謝って自然に
わき上がるものだからどうにもコントロールできない。

そんな自問自答を繰り返しながら、
ハワイのホ・オポノポノはどうして、

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「ゆるしてください」
「愛しています」

というように謝罪が入ってるんだろうって
不思議に思っていました。

でも昨日腑に落ちました。

昨日、妻と電話で話しながらこんな話に。
「人はどうして誤って欲しいのかな?」

そんときはわかりませんでした。
それで後から気がつきました。

感謝の謝は「謝る」だっって。
感謝は謝りを感じること。

愛すること、感謝することって、
心からの謝罪をできるときに
初めて芽生えるのかもしれないって
気がついたのです。

なぜなら、もし心から謝罪できたら
必ず赦されるからです。

赦されたときに
本当に自分なんかを赦してくれることが
有り難い(あり得ない)ことだと感じ、

そのとき感謝が芽生え、
そして自分は愛されていると
気がつくんだと思ったのです。

そして、まず母に謝罪のメールを
書きました。

もう一緒に暮らさなくなって長いけど、
たくさんの嫌な思いをさせてしまったこと。
お母さん、今まで本当にごめんなさい、と。

形だけの謝罪なんて
本当に無意味だと思います。

そこに心がなければ、
愛も感謝も芽生えません。

大切な人への大切な思い、
しっかり表現して
それと共に生きる人生を
みんなに歩んで欲しい。

そう思った朝でした。
(以下省略)

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