“Locked in”(閉じ込め)。 冷たい肉の空洞に幽閉された意識。

私が26か27歳だったと思う。
暑い夏だった。

記憶が定かではないのは、
毎日のように反芻していた
「人生の疑問」を抱えながら
低賃金のアルバイトで
何とか生活していたからだ。
つまり単調な生活だったからである。

私はエアコンのない6畳の部屋に住み、
暑さを紛らわすために
冷えたドリンクをよく飲んだ。
それが原因だったのか
激しい腹痛に悩まされた。

「人類の歴史が続いているということは、こんな苦痛を幾度も乗り越えてきたんだよな」
「よく頑張るよな、こんなにまでして何で生きるのかな、俺はいっそ止めたいよ」

(死ねば苦痛がない。確実にそれから解放される。なぜなら脳が痛みの信号を出しているから)

上のセリフは私が体調を壊すと
いつも思うことである。
弱音である。

私はよく下痢をする。
だからこの時も
腹の中のものをすべて出してしまえば
すぐ治るだろうとタカをくくっていた。
が今回は違った。

共同トイレのある15メートルまで
歩いていくことができない。
そこまで立つ力も、
這って行ける力も出なかった。

マズイ、このままでは下着の中に糞を散りばめてしまう。
布団も汚して悪臭を放つ部屋と化す。

「どうすればいいんだ?」

私の枕方向には小さな洗面所がある。
そこにタライがあってその中に糞をするしかない。

私は柱に寄りかかりながらタライを取って
それを尻にあてがい、滝のようにぶちまけた。
私はスーパーのビニール袋をゴミ袋としていたので
それを2重にし、その中に自分の糞を入れた。

激しい下痢は続いた。
糞はビニール袋にたまり、力を出して封を縛った。
でないと水分を含んだ糞は袋からドロドロと出て
畳を汚してしまうからだ。
その上タライにも糞がたまるまで出した。
こんなに出るものなのかと我ながら苦笑した。

「俺の細い体に何でこんなに糞があるんだよ!?」

水分とシャッフルされた糞は膨張するのだろう。
だが強烈な臭いがなかったのは幸いだった。

下痢が収まると静かな時が訪れた。
布団に横になりながら
頭がグラグラと天井が回っていた。

「このまま意識が無くなればどうなってしまうのだろう?」

独り身である私は誰からも知られず
そのまま死体で発見されるのだろうか。
その時誰かそばにいてくれたら
どんなに幸せだろうかと思った。
皆が結婚するのはこういう場面を想像してのことだろうか。
もしそうなら結婚は他者依存だろう。

私はこのまま死んでいく。
だがなぜか死の恐怖はそれほどなかった。
なぜなら人は死ねば、無という無苦が待っているから。
苦痛がないのは何と幸福なことだろう。

私は自分の肉体に意識を向けた。
下痢のピークは過ぎたようだ。
闘いが終わった後の自分の肉体は疲弊していた。
完全に動かない。
私はその静謐に支配された自分の肉体に
自分の意識がポツンとあるのを自覚した。

「肉体はガランドウみたいだ」
「意識は冷たく暗い粘土のような肉体に閉じ込めれているんだ」

私がその後、
肉体とは魂の入れ物と断言しているのは
この体験があったからである。
首から下が動かせずにいる障害者や入院者を想えるのは
この体験のおかげである。

そして何ということだろう。
私がこの瀕死から脱することに成功させた
驚愕すべきことが私の身体の中心に起こった!!

『勃起』していたのだ!!

「こんな時まで…俺は何てドスケベ野郎なんだ!?」

私は自分に呆れた。

「むむ、いや違うぞ」

私は男であり、性欲というものがどんなものなのか熟知している。

「俺は女を求めていない!!」

「ならば何だ? 俺のペニスは何を求めている?」

「生きたい!!!」

私の小さいペニスは精一杯固く上を向いていた。
手でやさしくさすりながら
俺は生きたがっているという事実をそこに見た。

「俺はこのまま独りで死ぬなんて寂しいよ」
「自分の糞にまみれながら死んでいくなんてヤダよ」
「俺はみんなといっしょにまだまだ生きていたんだよ」

私が無条件に他者の存在の必要性を確信させた
「独りである」ということのいたたまれなさ。

「人間は独りではダメなんだよ!!」

私は自分の存在に意義を見出していなかった。
その私が他者から存在を認められたがっていた。

「こんな俺でも世界に何か役に立てることがあるはずだ」
「生きて生きている人のためでありたい!!」
「ただ生きていけばいい。生きていればこそ…」

私はいつしか眠っていた。
目が覚めると若さもあってか身体を動かすことができ、
力をつけるために栄養のあるものを食べた。
その後の行動や何を食べたかは覚えていない。
トイレで糞の始末をしたことくらいか。

勃起という事実は
それほど私には驚愕的な出来事だったからだ。

それ以来の私の関心は、
死は無であるという結論に方向性を向かわせる思考から、
自身の内なる生命エネルギーの神秘さに向かった。

『性欲は神秘的なエネルギー』

なぜあの時勃起が起こったのか。
そんなにも繁殖という動物本能が生を衝き動かすものなのか。
ことあるごとに考えた。

そして他者、私と同じく生きている最中にある自分以外の人。

他者も生命エネルギーを輝かせ、
生きることを欲している。

『命』

本当に私たちは無から生まれ無に帰すのだろうか。
もしや生命エネルギーとは
巷で言われる魂というものなのか。

あの時完全に力尽きたはずの私の肉体に
魂は「生きよ」というメッセージを伝えるために
男性シンボルに勃起という生命エネルギーを与えた。

もしそうならば私という意識すらも支配しているのが魂だと言える。

魂という存在は偉大なる者であり、
それがあまりにも強大で覆い尽くしているがゆえに、
私たちの日常においては知覚できないのではないか。
だから死は無であると考えてしまうのではないか。

-自我意識こそがすべてであり、
それは脳が作り出した幻想であり、
その脳が死ねば自我も無くなる-

これは誤った考えではないのだろうか。

私が下痢事件と呼んでいるこの日から
「魂は在る」という結論に至るまで
まだ時を要している。

確信へと変わるには醸成が必要だ。
人は急には変われないものだ。

皆が霊的存在を信じられずにいるのも
無理はないことだろう。
何度も生まれ変わるしかない。
輪廻転生は真実だから。

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