あの時あの場所で見た夕陽は、「世界はあなたに優しい」と確かに私に伝えていた。

高校3年か浪人中の19歳の頃だったか
私は活力の失せた痩せた体で
夕方トボトボと歩いて15分のところにある近所、
人気のない川沿い裏の何の畑か分からない
ただ一面広がる土地が見渡せる道にたたずみ、
そこに沈んでいく夕陽を見ていた。
どこにでもある夕陽だ。

「なぜ夕陽はこんなに温かいのだろう?」

もし人が死んだら無になり、
そもそも世界は無という気まぐれの産物でしかなく、
何の意味も持たない造形物だとしたら、
どうしてこんなに夕陽は私に向かって

「元気を出せよ、我はまた朝日として姿を見せようぞ」

などという荘厳なメッセージを与えてくれるのか。
私には見当も付かなかった。

ただ私はその夕陽の優しさに
軟弱な心を慰められもした。
(生きる動機としては頼りないものであったが)

確かに夕陽は傷つく者に対して優しい。

「なぜ優しいの?」

【無で生まれ、無に帰す】

「そこには何の苦しみも痛みもないから
あなたは優しくいられるの?」

「無を根拠にして優しいとは一体どんな意味があるというの?」

私は世界が存在する意味が分からなかった。
そして自分がなぜ“生まれる”ということになったか、
恨みにも似た感情を持っていた。
この私に対して無を背負わせるなどという
流刑罪を課した世界に
訳もなく腹を立てていた。

そう思った時、
「人類も私と同じ罪を課せられている」
その哀しい事実も尚のこと
私を亡霊のように生気のない若者とさせた。

「人は哀しい」
「世界は無意味」
「人生を生きる価値は皆無に等しい」

もしこの時に私がその後歩むことになる
20代の苦難を知ったとしたら、
自殺もあったかもしれない。

私がこの時なぜ死を選ばなかったのか、
今の私は考える。

愚かしい私の若さのパワーが
未だかつて誰も知り得ないと思われた
「生と死という難問を解く」ことに挑戦したから。

誰かが私よりもすでに偉大なるその真理を
きっと知っているはずだ。
探求せねばならぬ。
彼と同じ道を歩まなければならぬ。
そしてできれば自分と同じ苦悩を抱えている者に伝える。
まずは私自身が会得しなければ!!

「もしそんなもの世界の誰も理解できておらず、
生も死も無であるという単純な答えが待っていたら?」

その時は潔く死ねばいい。
人類を想って泣きながら
死ぬしかない。
私に死ぬ勇気があったとしたらだが。
いやその結論が否が応でも選択を与えるだろう。
結論を下す自分は無そのものに同化しているはずだから。
屍のようになって。

「ヘトヘトになるまで追求してやろう」
「でもこんな俺に果たして人類の叡智へと到達できるのだろうか?」

私は死ねなかった。
死なねばならない理由がないから
死ぬ決意が持てなかった。
臆病者だったとも言えるが。

「どうせ生きるなら、誰もが知りたいと願うこの真理をつかんでやろう

私はそのことに以外には何の興味も持てなかった。
(SEXは別)
お金も地位も名声も豪奢の暮らしも
何もかもくだらねえ“逃げ”に過ぎない。

私は大学で勉強する。
大学卒もくだらねえからどっちでもよかったが。
だが追手門大学という3流大学に入ったことは幸運だった。
なぜなら私が住む貧乏アパートのそばに(歩いて5分)
図書館があったから。
(大阪府立茨木中央図書館)
今ではそれは神の大いなる配慮だと信じている。

そして私がすべての男と同様に持つ
性欲(女とSEXをしたい)という欲望の中に、
偉大なる真理へと導く手がかりになるとは
学生であった私には想像もできないことであった。

性欲こそが私に疑問を解く大きなきっかけを与えてくれたとは!!

今の私はオナニーが好きだ。
罪悪感はない。

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