“自動車”に寄せる男たちの熱い思い

『グラン・トリノ』という映画を観た。
主演・監督はクリント・イーストウッドだ。
おもしろかったので是非レンタルで借りて観て下さい。

グラン・トリノとは、70年代に生産されたアメリカのフォード車の名前だ。
朝鮮戦争に従事した退役軍人の主人公のコワルスキーが、
20年間フォード社で働いていた時に製造したものだ。
それはそれは愛着のある車で、他の車には見向きもしない。
トヨタのセールスマンでトヨタ車に乗る彼の息子には、決していい顔をしていない。
アメリカの古き良き文化を大切にする頑固な老人がそこにはいる。

内容は観てからのお楽しみとして、
タイトルメニューにある「特典映像」を逃さず観てほしい。
そこである人が言うのは
「車は単なる移動手段ではなく、父と息子のコミュニケーションツールになるんだ」と。

息子が車をほしがる年齢になる。
「もうそんな年になったのだな」と
父は息子にお似合いの車を探し出して与えたり、
もしくは自分のお古をプレゼントしたり、
車についてあれこれと講釈する。
こうして父と息子の男同士の交流が行われる。

『自動車は息子とできる共通の話題になるのだ』

内容に触れてしまうが、
映画の主人公とその息子との交流はどうであったのか疑問が出てくる。
おそらく軍人時代に犯してしまった後ろめたさ・後悔が懺悔の日々となり、
不器用で無口な父親にしてしまったのだろう。
神父にも息子にも言えない過去の秘密が、息子との距離を隔てる。
亡き妻もそれを感じていた。

息子を持つ父たちよ、
失敗や挫折の人生だって息子は共感してくれるはずだよ。
嫌われたっていいではないか。
いつかきっと解ってくれるよ。
だってあなたの息子だろ?
大人になってみないと解らないことは確かに多い。
信じてみよう。

『男同士の魂の交流』
いいものだね。

では女同士はどうなのだろう?
教えて下さい。

error: Content is protected !!