死んだら無だと確信があるなら、
我はなぜ生きるのか?
死にたくないからか?
死は必ず訪れる。
死刑確定囚である我らに上訴の余地はない。
嘆け!!
好きなことを思う存分したいからか?
ならば欲望の赴くままにやり尽くせ!!
「酒池肉林」
刃物で切り刻み、女を餌食にし、たらふく喰らい尽くせ!!
グヘヘ…
獣に心を委ねよ。
猛り狂え、忘我は気分がよいぞ。
…
だがなぜか心痛い。切ない。悲しい。
どうしてだ?
無である死よりも悲しいものがあるというのか?
人が生きるというのはその無を踏み越えるだけの動機があるのか?
「死=無」以上の価値がどこかに隠されているのか?
…!?
もしや死は無ではないのではなかろうか?
無であると思い込む我の思考に間違いがあるのだとしたら?
死を無であるとする意識は
快楽の沼に浸かり、自己を投げ捨て、実存をごまかす。
憐れ。
我は不滅たる我である。
無の中に沈みあえぐ我を
虚無と頽落の沼から引きづり揚げた時、
目覚めた自我が無を無効なものとする。
これこそが自由。
勇気を出せ!!
虚無などとは、あきらめの言い訳に過ぎないのだから。