死が隠蔽されるのは、人に死など無いから。

ある株式のメルマガに書いてあったが、
大企業であっても3年の間に
32%もの新人社員が去ると言う。

一流大学を卒業し
一流の不動産会社に就職できたが、
職場の堅苦しい制度や雰囲気に嫌気がさし、
2年で退社を決断した青年がいる。
どうせ働くならオモシロ楽しい方がいい。
TATERUのような会社なら
彼はイキイキと働けるのではないかな。

方や公務員は98%が辞めずに
定年を向かえているらしい。

その仕事に生きがいを持って働いている人なら
私はどうぞそのまま継続して
国家のために奉公して頂きたいが、
黒澤映画の『生きる』の主人公のように

「私はこの世界に何を残したのだろうか?」

と空虚な嘆きを吐きたくないのでしたら、
休日を利用して様々な人が参加しているような
どんなセミナーでもいいので参加してほしい。
きっと何か得られるはずです。

ところで
資本主義を採用した全世界において
お金に対する間違った洗脳による支配が及んでいる。

労働者はいつからか
「生きるために働く」が
「お金を得るために生きる」に
なぜだかすり替わってしまった。

その証拠に過剰な生産をしてゴミを増やしたり、
人類に有害な製品や食品を製造したり、
社会を混乱させる金融商品を開発したり、
ひどいのになると
兵器を売ってでもお金を欲しがる。

人々をこんなふうにしてしまったのは何が原因なのか?

『失うことへの恐れと不安』

それは人格を歪ませるほどに
我々を怯え震わせる強制力を持つ。
根強く。

おい、『死』はどこへ行った?
恐怖の極みであるはずの死は
なぜに人を苦悩苦悶へと押しやらないのだ?
死を前にして
人類はその未知なる現実にシーンと沈黙し
分からないと困り途方にくれて
嘆き悲しみ嗚咽してもいいはずだ。
平然としていられるあなたが不思議でならない。
それとも自身は死なないとでも思っているのだろうか?

この不可解な人間の思考である
「死の隠蔽工作」がどうして起こるのか
私があなたに解説してやろう。
簡単なことだが。

人に死は無い。
死=無ではないことを誰もが知っている。
不死なる存在である霊魂において
無自覚にそれを理解しているのだ。

だから人は死を忘れ果てて生きることができている。
なぜなら霊魂とは絶対の安心を神から約束された
永遠無限の存在であるから。

我らは死を考えずにのんびりと生きていられるのは
(今の今まで人類史をここまで築かせたのは)
霊魂の偉大さにおいて他にない。

それは物質というオモチャを
全集中をもって遊ぶことを許して下さる。

・オモチャが無くてダダをこねる子供
・お金の有無に一喜一憂する人間たち

同じだ。

性欲、物欲、金銭欲、権力欲

「物質界は霊魂たちのオモチャワールド」

好き放題に遊んだらええやんか。
この世界は遊び場なんだから。

何何、お前は
霊魂という”おとぎ話”を持ち出して
「死=無」という残酷なる事実を
隠蔽しようとしているだって?

それではニヒリストのあなたに聞く。

「あなたがそれでも生きているのはなぜなのですか?」
と。

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