美しい思い出は消えない。神と融合し永遠になる。

下記の斜め字は私の初代ブログにあるものです。
これは大黒摩季さんの
高校時代を紹介したテレビ番組で、
彼女が青春時代を想って
感傷に涙したのを見て
私がとっさに書いた文章です。

宗教者よ、覚者であれ!!

過ぎ去った「過去」を想って、哀愁にとらわれてはならない。
すり抜けていく「今」という現在は、瞬時に「過去」となってしまう。
「過去」は死んだのだ。
それはもう変更のできない「提出し終えた芸術作品」であり
くさびで打ち込まれた「経験の焼印」なのだ。
「過去」にしがみつくこと、
それはまるで「冷たい墓石」の前ですすり泣く女のようだ。

宗教者は「過去」を想って泣いてはいけない。
「今」に束縛されることも「刹那」に浸ってもいけない。

『神』という未来だけ見つめて生きればいい!!
一心不乱に『神』を目駆ければいい!!
それだけでいい!!
『神』に陶酔してもいいだろう。

宗教者よ、『神』を自覚しなさい。
確固たる信念を持ちなさい。
そして『神』に迷える民衆を導きなさい。
それがあなた方の使命なのです。
たじろいではいけない。
ひるんでもいけない。
恥ずかしがらず堂々と生きて下さい。

果たして今の日本に『本物の宗教者』はどれくらいいるのかな?

———

ここで私は過去は死んだものとして書いている。
間違いです。
真は「すべての過去は経験の集合体である神と合一し、永遠なものと化す」です。
すいません。

大黒さんが涙したのは
過去(あの頃)は2度ともう戻らない、
青春はもう帰ってこないという、
人間とは何と切なくはかない物語を紡ぐのか、
に思わず感極まって泣いたのでしょう。
分かるとも分かるとも。
私も泣いた。数え切れず。
この出会いが、
この出来事が、
この風景この記憶が、
死の断崖から
微笑みと冷笑と虚無と共に落下し、
無に帰すと思っていた。

「なぜ人は黄金時代を想って泣くのか?」

死=無=闇という偏屈な思想に我を委ねているからだ。
勘違いも程があるというのに。

私がここではっきりと宣言しよう。
死ねば皆あの世に往き、
そこはあなたの永遠の黄金郷(ユートピア)であると。
涙はそれまでしまっておこう。

懐かしいにおいがした。すみれの花時計♪
恋愛中ってもっと、楽しいと思ってた♪

彼女のストレートな歌詞が好きです。

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