女ならば誰でも自分の体を憎む。

「何でこんなところから血が出るのよ!?」
(オリモノの後始末が面倒で仕方がないわ!!)
「それにどうして湧きあがるような力が出ないのよ!?」
(男は意気揚々と生きててムカつくわ)
「すぐに疲れてしまうし、頭もクラクラと貧血ぎみ」

『あ~あ、嫌になっちゃうわ、女って』

女は初潮を向かえれば誰でも戸惑う。
だが母親がそんな娘にこう諭す。
「これは一人前の女になった証拠よ、赤飯でも炊きましょか」

しかし夫から愛されていない妻が母親であったならば、
「あんたももうそんな歳、色気づいたら承知しないよ!!」
などと娘の女性性に嫉妬し否定する。

父親もまた娘の体を見て
性の奴隷(いい女になったじゃねぇか、ヘヘヘ)
のような目線でなめまわすならば、
娘は愕然と閉口する。

「あたしって身体だけの人間なのかな? 心って必要ないのかな?」

女が女の身体を完全否定する時、何をするか?

娼婦に堕ちるだけだろう。

「こんな体なんてどうってことないわよ」
「つまらないもの、肉体の喜びなんて」

「でも何だか哀しいよ、私の体は私だけのものじゃないもの」

“赤ちゃん!?”

「赤ちゃんを産みたいよ、産んでみたいよ」
突然女の本能が叫び出す。

【心の入れ物である身体】

体に絶えず観察と注意を行ないながら生きること。
それは心への気配りに通ずること。

【心と体はコインの裏表】(表裏一体)

両方おろそかにしてはいけない。
バランスよく上手に生きてほしい。

結論:女性に求められるものはすべてのバランス感覚である。

後記:月経の血は血液ではなく、厳密には細胞です。

コメント

error: Content is protected !!