私は、殺人を合法化する『死刑制度』に反対する。

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カレー毒物混入事件の犯人とされる“林真須美”被告の死刑に反対する。
オウム真理教のサリン事件の首謀者、“松本”被告の死刑にも反対する。
すべての凶悪犯とされる殺人者の死刑に、私は断固反対する。

「なぜ彼らは極悪非道の殺人者になってしまったのだろうか?」
「なぜこの豊かな日本でこんな事件が起こってしまったのだろうか?」
(今後も絶え間なく凶悪犯罪事件は起こっていくだろう)
(悲しいかな、おそらく増えていくね)

ここで“親鸞”の言葉を思い出す。
「人の心よくて殺さずにあらず。人害せずと思えども百人千人殺すこともあるべし」
(善良な人は殺人をしない、ではない。人を傷つけない気持ちがあってもたくさん殺してしまうこともある)

一体『罪を犯す』とは何だ?

すべての人間は過去世で“極悪人”だった。
(ガンジーもマザーテレサもイエス・キリストだって)
僕らはたまたま今世で極悪人にならずに済んでいるだけなのだ。

イエスは言う。
「頭の中で姦淫しても姦淫したことになる」
(そうするとすべての男がレイプ犯ということだね)
僕が分かりやすくして言うと
「頭の中に浮かんだことはすべて、その人の過去世で実際行なったこと」
「だから善良そうに見えても、すべての人間は実は凶悪犯(だった)なんだ」

『死刑制度』それは無理解と無関心の極み。
邪魔になる者はゴミのように処分する。
相容れないの者は隔離する。
「私は無関係。関わり合いたくはありません」
人々はそうして表面を取り繕って生きていきたい。

「なぜ少しでも犯罪者に理解の手を差し伸べようとしないの?」
「ナイフを持って産まれてきた人間はいないよ」
「運命共同体の意識を持ってほしい」

同じ時代を、同じ日本で、共に生きていること。
それは偶然ではない。
魂が選び取った必然なのだ。
関係ないということはない。
すべての魂は一つ。
他人事扱いしないでじっくり考えて頂きたい。
『残忍性』とは誰の心にもあるのだから。

【私のコメント】

林真須美被告の動機が分からないらしい

なぜカレーに毒を入れたか?
最高裁でも動機が明白になっていないとワイドショーで言っていた。
愉快犯ではなさそうだし、テロリストでもなそそう。
思うにヒロインコンプレックスではないか?
目立たない主婦が脚光を浴びたくて、ワザと犯罪を行なう。
みんなから注目されたい、私がテレビに映ってヒロインになる。
快感だわってね。
もしそうならば主婦を下に見る社会にも責任がある。
社会の一員である僕だって。

林真須美被告、死刑確定

死刑になるそうです。
女性なのに。
これで僕らは殺人国家で平然と生きていることになるわけだ。
死刑という殺人。
本当に許されるのか?
更生の道はないのだろうか?
同じ日本で同じ時を生きている仲間。
死刑がなくなる時は、この世の意味が理解される時かもしれない。

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