『女』を捨てたらアカン!!

“初潮”から始まって“閉経”に至るまで、
女の人生はさまざまな肉体的変調が起こって
日々苦悶する。
「男の人は気楽ね」
「男に生まれればよかった」
そう思うのもいい。
思ってしまうのも仕方がない。
しかしそこですべてを投げ出してはならない。

『女』を放棄してはいけない。

“月経”の度に『女』を内省しなければいけない。
『女』とは何かを熟慮しなければならない。
そのきっかけを与えてくれる“月経”とは
“ありがたい知らせ”なのである。
それに感謝しこそすれ、憎んではならないのだ。

こう言うと“閉経”を迎えれば
女性は『女』ではないのか?
という問題が出てくる。
私は「それは違う!!」と断言したい。

“閉経”から『女』への本当の“格闘”が始まるのである。

この世の世論や肉体の変化、その衰え、
そして過ぎ去った過去のしがらみが、
あなたの『女』を否定してくる。
負けてはいけない。
くじけてはいけない。
あなたの『女』が試されているのである。

そうこう言っているが
『女』とは何か?
を改めて認識しておかないと何も始まらない。

一言で言うなら『女』とは『受容力』である。
(特に男性に対する『受容力』である)
『受容力』それは『否定しない心』
すべてを肯定するのである。
(イエス・キリストは絶対肯定の人でした)

男を否定していては『受容力』は身に付かない。
男性を罵倒しては絶対に愛されない。
近寄りもされない。
こんなことでは「孤独な女」になり下がってしまうだろう。
(わびしい老後を迎えたいのならご勝手に)

「私は今までにロクな男に巡り合えなかった」
「男はみんな女を不幸にする生き物」
「だから『女』を磨く必要なんてない」
「私は私で生きていくわ」

“哀しい女”とは
こんな取りつく島もない人のことを言うのであろう。
もうどんな言葉も届かない。
自分で決めた道ならそれもいいだろう。

女に生まれたからには
愛されるという至福を目がけながらも
『女』を存分に味わって生きていくのがいいか、
はたまた『女』をにべもなく放棄し
男と対等に渡り合える術を身に付けようと
『男』を振りかざして生きていくのがいいか、
ここで一度改めて考えて欲しい。

どんな生き方だって
それはそれでかけがえのない人生なのですから。

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