“愚”とは愚直なまでに純朴だということ。
親鸞の生きた鎌倉時代は貧しかった。
各地で農民が“信仰”にすがるほどに。
親鸞も僧侶として彼らの言葉を熱心に聞いた。
「親鸞様、オラは漁師で魚を殺して食ってしもうた。
そんなオラにも神様は救って下さるだべか?」
「親鸞上人様、アタシは食べ物が買えなくて
子供を間引きして殺してしまったべ。
子供を手にかけたアタシでも許してもらえるだべか?」
「ワタシは赤ちゃんを水子にしてしもうた。
こんなワタシは罪深い女として極楽浄土へ行けないだべか?」
貧しさゆえに罪の意識を愚直に考える。
「この人たちは、何とバカ(愚か)なんだ!!」
「魚を捕るのも、間引きも、水子も、
みんな神様のお考えから来たものなんだよ」
「人間なんて“業”を作って当たり前」
「そんなに自分を責めていじめるな」
「私にも神様のお考えは皆目分からないんだ」
「でも神様は慈悲なお方だから救って下さるよ」
「救いの叫びをあげているあなたたちこそ、まっ先にね」
「きっと素朴な皆さんは大丈夫、心配するなって」
「僧侶の私が自信を持って保証するから」
こうして浄土真宗は貧しい民衆に支持され
全国各地に広がっていったわけです。
親鸞もイエスと同じ思想を持っていたのですね。
あなたは日本の仏教をバカにしていませんか?
きっと親鸞に興味が湧いてきたでしょう。
そんな人は『歎異抄』を読んでみて下さいね。
短くてもいい本だから。
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