前世の自分と今世の自分は、“私”という主体は同じであるが、経験が違うので別人。

『類魂の法則』を私なりに説明してみる。

類魂(“私”という集団グループ)から
“私”の一部が分離して
この物質世界に降り立ち(転生)、
多くの経験と感動を積んで再び類魂に帰る。
(人生の目的)

時代(時間)が変われば環境が変わる。
時には戦争の最中に、
時には平和な国に、
貧しい国や気候の厳しい土地に生まれ変わって
さまざまな経験をし、
その経験から得られる感動を魂に刻む。

もし今日本人である私(山田直樹)が
日本人として転生せず、
インドのカーストの貧しい地域で生まれたら
私は今の私でいられただろうか。
違う人格を形成されたことと思う。
霊魂を語っている余裕が持てるとは思えない。

霊魂(主体)としての“私”は同じだが、
環境が変われば人格が変わる。
つまり経験が違えば、
何人もの“私”が出来上がるということです。
それは“別人”なのだとみなしても
それほど間違ってはいない。

江原氏と昌清之命は、
異なる時代に生まれ、
違った経験をした同じ魂であるという別人。

昌清さんが江原さんに「ぬしの人生はぬしが決めろ」と諭すのはそういうことだろう。

ところで実は、
“私”は今この瞬間において、
1人しかいないのではない。
「自分と同じ人間がこの世には3人いる」
というのを聞いたことがあるかな。

世界人口60億人以上もいるのですからその中に、
もう1人の“私”が頑張って
異なる経験をしてくれてもいいはずだ。
山田直樹という名前ではないもう1人の私。
ほぼ会うことはないだろうが、
どんな体験をしているのか時々考えてしまう。
まあ魂の故郷に帰還すれば分かち合うことになりますが。

読者の皆さんともいつかは
魂での交流(一体化)を実現させたいですよね。
そんな類魂仲間になれる日が来ることを信じ
て毎日経験・経験。

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