仕事について再考してみた。

現在DVDなどのメディアを転売(せどり)してますが、
(特に洋画)
それが嫌になってしまった。

なぜかって言うと
DVD(映画)が芸術作品としてでなく、
商品としてしか見れなくなったから。
これっていくらくらい儲かるのだろう?って。
(何てケチでスケベ心なのだろう)

僕は映画をそれほど熱心に好きというわけではない。
ですがたまには観る。
そして観るからには芸術作品として堪能したい。
だって人間の喜怒哀楽(恐も含む)の感動が
詰め込まれたものだから。

完全なる人間理解を求めたい僕としては
映画はその一助となってくれているもので、
DVDせどりは金銭目的以外の何物でもないことから
止める方向にシフトしていこうと思う。
ダウンロードの脅威もあることだし。

さてここでもう一度仕事とは何かを考えてみた。

私は好きなこと・情熱を持てることを
仕事にしようと言ったことがある。
まず私が今考える定義を言ってみる。

好きなこと(楽しいこと):お金を払ってでもしたいこと
情熱が持てること:1円も得られなくてもすること、すべきこと
仕事:やりがいのある、楽しい、ワクワクするような課題
労働:生活費のためにしなければならない作業(服役に近い苦役)

仕事の定義だけは悩んだが、
そこに金銭の有無は関係ないこととした。
なぜなら子育ては親の仕事であるし、
病人は治すのが仕事であるし、
子供は健全なる社会人になるのが仕事だから。

私のDVDせどりは労働であり、
情熱の持てることではなかった。
やってみて始めて知ることができた。
もっと自身の内なる声を探求しようと思う。

まあ私のことは追々このブログで語るようにするが、
問題は「労働を仕事にするにはどうすればいいのか?」だ。

現在人のほぼすべてはお金のために働いている。
(誰が何と言おうとカネの奴隷だ。私も)
だからお金を増やすことには熱心だが、
減ることには恐怖心と猜疑心で満ち満ちている。
この世界は無常だというのに。

私は思い切って提案したい。
お金を基準にするのは止めようと。
そうすれば労働従事者は
仕事の方へと目を向けるようになるし、
労働環境は人をモノではなく
仲間という目線でとらえるようになる。
ですがこれは難問難題ですね。
人は自身のことをより深く知ろうとしないから。

さて大事なことを言い忘れてはいけないので言う。
仕事と労働には決定的な違いがある。
それは自主的か強制的か、能動的か受動的か、だ。

楽しいことなら自ら進んでするに違いないはず。
そうならば仕事とは誰に言われるまでもなく
自分から率先して行なうはずのもので、
身体を強制して向かわせるものは
すべて労働か作業だろう。

ここであなたの毎日のスケジュールは
どちらに属しているのか、
ちょっと立ち止まって考えてみてほしい。
できればその比率を楽しい方向へと
引き上げられるように努力してほしい。
あきらめずに1歩ずつ。
きっとそこへたどり着ける。

「ところで人が率先して行ないたいものは何だろうか?」
「楽しいの正体は果たして何なのだろうか?」

人が楽しむためには必ず他人が必要だと思う。

歌が好きだからといって独りカラオケは虚しい。
ゲームが面白いからといって部屋に閉じ籠ってばかりも寂しい。
高級レストランに独り座って黙々と食べるのもみじめ。
調理が得意だからといって自分用だけのものを作るのもハリがない。
ゴルフがうまいからといって飛距離を飛ばしてもスゴイと言われない。

独りはつらいよ。

自己と他者の間にある何か、
それに人は楽しさを感じる。
それを得ようと夢中にさせるもの。
何か分かるかな?

『つながり』

これこそが楽しいの源泉だと私は確信している。

上記のことをまとめて
仕事とは何かという定義を改めてしてみよう。

◎仕事とは、他者とつながれる喜びを分かち合うこと。

人は皆、他人なしではどうにも生きていけない動物なのだ。
自分以外の人間にすがりたい。
つながることで生きる力を注いでもらえる。
「私は生きる許しをもらえているんだ」

つながりとは『感謝の交換』とも言えなくもない。

逆に労働とは、
狭量な檻に自己を閉じ込めてしまう牢獄。
番人はお金という強迫観念。
説得できない。

私は日本人すべてにこの真実に気づいてもらいたい。

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