スポーツやビジネス、
家庭や企業内、
果ては法廷上でさえ
違反や反則が行われている。
ドーピングや禁止技
著作権違反や偽装、隠ぺい
職務放棄・勤務怠慢・冤罪
世界中至るところで
あらゆる種類の場面で
誰彼問わずに横行している。
中でも法の番人である
裁判官の冤罪・誤審には、
流れる涙も拭いきれない。
無実の死刑判決はどんなに苦しかろうことか。
「どうして人は過ちを繰り返してしまうのか?」
弱さがあるからだ。
下馬評、優劣、惰性、逃避、放擲
それらの弱さを分析すると、
揺るぎない『絶対軸』を持てずにいるからだと
私は断言するに至れる。
★絶対軸=大いなる生きる意味
人の定めし法規では
人は弱さを克服できない。
そこには人生に活力を与える真理が
完全に忘れ去られ、
人の存在を亡霊のように浮遊させているからだ。
法律の中に幸福はない。
「どうすれば弱さを強さへと変換できるのか?」
「絶大なる真理なるものが果たして存在するのか?」
人は法律の中で生きているのではなく、
実は愛という律法に包まれて生きている。
愛されるべき人という魂であるからこそ、
人は法律というおもちゃを作って遊ぶことも許される。
魂の本質である愛は
森羅万象すべてに満ち満ちており、
人のみが愛を放出できる資格を有する。
魂は人の本性であるがゆえに
人を成り立たせているのは愛なのだと導ける。
違反者は弱さがあるのではなく、
不死なる永遠の存在、霊魂を知らないだけだ。
気づきさえすればいい。
それからそれに相応しくなればいい。
永遠に生きる魂には
猶予期限の設定はされていない。
さあ、のんびり行きましょうか。