「生きるの意味」これを問い続けた私の青春

「人はなぜ生まれ、苦しみ、病に伏し、老いさらばえて死ぬのか?」
「何のために人は生きるのか、どうして生きなければいけないのか?」
「苦しみもがきあえぐ。それだけの価値が本当に人生にはあるのだろうか?」
「どうして苦痛があるのか? 死が無であるならば、そりゃ悲しい過ぎるだろ?

などのクエスチョンを駱駝のように背負う。

私はずっと考えてきた。
いつからだろうか、もう忘れた。
どんなに考えても答えが分からない。
本にも書いていない。
過去の賢者たちも同様に
悩み苦しんで死んでいったのを
知ることができたことくらい。
一部の神秘主義者を除いて。

「生きることの意味」

あの頃の俺は「迷える子羊」だった。
全く分からなくてニヒリズムの深淵を
のぞいたこともあるかもしれません。
(そこは暗くて寒いところ)
近くに麻薬があれば確実に手を出していたよ。
(酒井法子さんの気持ち分かるぜ)
環境も大事ですね。

この大いなる真理が分からなければ
人類の本当の幸福はない。

「人生の目的」

分からない、俺は無知で無能で無力で無気力だった。
いつしか他人との距離を取るようになった。

答えの分からぬ俺に何ができる?

人を救いたい。でも救えない。
口を閉ざし、心に殻を作り出して、苦悩した。
俺は人類がとてつもなく哀しかった。
こんな俺でもせめて低所得のフリーターとして
この世の痛みを共感することぐらいしか。

だが真理への追求は止めなかった。

あきらめた時が死ぬ時だと思っていたから。

30歳を過ぎた頃になると
私の中に変化が起こり始めるようになった。
「人生の意味」はもしかしたらこうなのかもしれないという思考の変化。

驚いてしまった。

もっと自分の心と葛藤し、
一片の迷いのないものとしなければいけない。

「絶対の真理」

私の探求は加速度的に確信へと変わることになる。

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