我々は“社会的責任”を果たさなければならない。

以前の“裁判員制度”についての僕の日記では、
「人徳者は裁判員制度などに参加しない」と言ってしまった。
それでは誰が裁くのかという問題が残ってしまう。
(軽率な発言でした)

裁判官一人では公正な判決が下せないと思われるからこそ
“裁判員制度”を設けたわけだ。
今更それにもう一度戻せとは容易ではないだろう。

だが無作為に選んだ一般人を“裁判員”にすれば、
犯罪人に課す刑罰の本当の意味が軽視される可能性が高い。
本来の意味である『刑罰とは犯罪人を【更生】させるためのものである』ということを。

「目には目を。歯には歯を」(ハンムラビ法典)では、
イエス・キリストも浮かばれない。

社会は「どうしたら犯罪人が【真人間】になれるのか」を思案しなければいけない。

もし僕らが“裁判員”に選ばれたとするならば、
それを基本にして判決を導くことが責務だろう。

ここで日本の司法に提言したい。

“裁判員”になるにはそれ相応の資格が必要だと思う。
よってその資格を得るための《国家試験》を導入して、
成人男女すべてに受けさせてはどうだろうか?
それにパスした者だけが“裁判員”になれると。

民衆は愚かである。
愚かである証拠は選挙を見ればわかる。
多数決で選んだ政治家の不甲斐なさを見れば。

★これは僕の強烈な要求になるのだが、もう1つ司法に言わせて頂く。

「裁判員のことそれ以前に、もっと<女性裁判官>を増やすべきだ!!」

それによって女性の犯罪者や被害者の立場を考慮しやすくなる。
公正な裁判がより成り立ちやすくなる。
どうか御一考をよろしくお願いします。
(女性政治家もやっと増えてきたしね)

そのことが普及しましたら
僕も“裁判員”を務めさせてほしい。
社会を構成する一員としての自覚がありますので。

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