ボクサー袴田巌氏の冤罪事件 (Wikipediaからの抜粋)

袴田事件(はかまだじけん)とは、1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した強盗殺人・放火事件、およびその裁判で死刑が確定した袴田巖(はかまだいわお)死刑囚が冤罪を訴え再審を請求している事件である。

※事件および裁判過

1966年6月30日 味噌製造会社専務の自宅が放火され、
焼跡から一家4人の他殺体が発見される。
7月4日 静岡県警が味噌製造工場および工場内従業員寮を捜索し、
当時味噌製造会社の従業員で元プロボクサーの袴田巖の部屋から
極微量の血痕が付着したパジャマを押収。
8月18日 静岡県警が袴田を強盗殺人、放火、窃盗容疑で逮捕。
9月6日 犯行を頑強に否認していた袴田が勾留期限3日前に一転自白。
9月9日 静岡地検が起訴。
11月15日 静岡地裁の第1回公判で袴田が起訴事実を全面否認。以後一貫して無実を主張。
1967年8月31日 味噌製造工場の味噌タンク内から血染めの「5点の衣類」が発見される。
1968年9月11日 静岡地裁、死刑判決。
1976年5月18日 東京高裁、控訴棄却。
1980年11月19日 最高裁、上告棄却。
1980年11月28日 判決訂正申立。
1980年12月12日 最高裁、判決訂正申立棄却決定送達。死刑確定。
1981年4月20日 弁護側、再審請求。
1994年8月9日 静岡地裁、再審請求棄却(決定書日付8/8)。
8月12日 弁護側、即時抗告。
2004年8月27日 東京高裁、即時抗告棄却(決定書日付8/26)。
9月1日 弁護側、最高裁に特別抗告。
2008年3月24日 最高裁で棄却。第一次再審請求終了。
2008年4月25日 弁護側、静岡地裁に第二次再審請求。

袴田死刑囚は30歳で逮捕されて以来40年以上にわたって拘束され(現在東京拘置所に収監中)、死刑確定後は精神に異常を来しはじめ、親族・弁護団との面会にも応じない期間が長く続いた。現在は面会には応じるものの、拘禁反応の影響による不可解な発言が多く、特に事件や再審準備などの裁判の話題については全くコミュニケーションが取れなくなっている。

※裁判の主な争点

1、自白は強要されたものか。
任意性に関する争点 : 自白調書全45通のうち、裁判所は44通を強制的・威圧的な影響下での取調べによるもの等の理由で任意性を認めず証拠から排除したが、そのうちの2通の調書と同日に取られ、唯一証拠採用された検察官調書には任意性があるのかなど。
信用性に関する争点 : 自白によれば犯行着衣はパジャマであったが、1年後に現場付近で発見され、裁判所が犯行着衣と認定した「5点の衣類」については自白では全く触れられていない点など。

2、凶器とされている栗小刀で犯行は可能か。

3、逃走ルートとされた裏木戸からの逃走は可能か。
犯行着衣とされた「5点の衣類」は警察の捏造か(「サイズから見て被告人の着用は不可能」など、弁護側は多数の疑問点を指摘している)

※拷問

袴田容疑者への取調べは過酷をきわめ、炎天下のなか、平均12時間、最長17時間にもおよんだ。さらに取調べ室に便器を持ち込み、取調官の前で排泄させるなどした。 睡眠時も精神異常者のとなりの部屋にわざと配置させ、一切の安眠もゆるさなかった。 そして勾留期限がせまってくると取調べは過酷をさらにきわめ、朝、昼、深夜問わず、2、3人がかりで棍棒で殴る蹴るの取調べになっていき、とうとう袴田容疑者は勾留期限3日前に自供した。

※支援の動き

1979年、ルポライターの高杉晋吾が事件の冤罪性を指摘した記事を『現代の眼』に掲載し、死刑確定後に支援組織「無実のプロボクサー袴田巌を救う会」を設立する。
1981年から日本弁護士連合会が人権擁護委員会内に「袴田事件委員会」を設置し弁護団を支援する。
1991年3月11日、日本プロボクシング協会会長の原田政彦(ファイティング原田)が、後楽園ホールのリング上から再審開始を訴え、正式に袴田の支援を表明する。
2006年5月、東日本ボクシング協会が会長輪島功一を委員長、理事新田渉世を実行委員長とする「袴田巌再審支援委員会」を設立する。同委員会はボクシングの試合会場(後楽園ホールなど)で袴田の親族、弁護団所属の弁護士や救援会関係者らとともにリング上から早期再審開始を訴えているほか、東京拘置所への面会やボクシング雑誌の差入れなどを行っている。
2006年11月20日、輪島を始め5名の元ボクシング世界チャンピオンらが、早期再審開始を訴える約500筆の要請書を最高裁に提出する。
2007年2月、一審静岡地裁で死刑判決に関わった元裁判官熊本典道(判決言渡しの7ヶ月後に辞職)が「彼は無罪だと確信したが裁判長ともう一人の陪席判事が有罪と判断、合議の結果1対2で死刑判決が決まった。しかも判決文執筆の当番は慣例により自分だった」と告白。袴田の姉に謝罪し再審請求支援を表明する。
2007年6月25日、元裁判官熊本は、袴田の再審を求める上申書を最高裁判所に提出。
2008年1月24日、日本プロボクシング協会が、後楽園ホールで支援チャリティーイベント 『Free Hakamada Now!』を開催。日本ボクシングコミッションが袴田に対し名誉ライセンスを贈呈する。
(以上)

僕の考えは『無罪』だと主張する。根拠は証拠が不十分だからです。「疑わしきは罰せず」という言葉もあることから、確固たる証拠がない限り、罪を問うてはならない。ましてや死刑にすることは絶対あってはならない。日本の裁判制度を一日でも早く合理的義理人情な制度にならんことを、このブログを通じて訴えたい。晴れ渡る空の下、彼の名誉が再び甦ることを祈りながら。

後記:2014年に再審のため釈放される。

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