「他力」とは、神様にすべてを委ねるという意味です。

他人(人間)の力にすがって
自分の所在を決めることを
「他力」と言っている人がいますが間違いで、
それは「他人任せ」と言います。

「他力」の本当の意味とは、
神様に自分のすべて(心も体も)お任せするというものです。
神の懐にダイブするとも言えます。
それって神との融合に他ならないのですが。

これは親鸞上人の「他力本願」から取られたものですね。

自力か他力か?

それはあざなえる縄のごとく絡み合っている。
正直言ってしまうと2つとも同じことなんですけどね。

「小なる神である我の力(自力)が大いなる神の力(他力)へと合一する」という。

中世インドでは(親鸞の生きた鎌倉時代より前)

・猿の道(自力)…猿の子供は母猿にしがみついて移動する
・猫の道(他力)…子猫は口にくわえられて移動する

という問題が大きく取り上げられたそうです。
(ひろさちやさんの本に書いてありました)

俺たちすべて生きている間、神の方向へと近づいているのですよ。
なぜって「生きる=修行」だから。

自力か他力かなんての議論は無駄無駄。

それよりも虚無主義の土壷にはまっている人たちを
何とか救いたいと思っている。
あの深淵は凍結された暗黒だからほんとに怖いからね。
愛のベッドで温め合いたい。
一緒にどうですか?

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