人はぶっとんだ存在であり、それは『至福』そのもの。

我々は人間は完全でも不完全でもない。

なぜならゲーテも言っているように

「その種を完全とするものは、その種を超越する」

つまり完全というものは無いのです。
完全が無いということは、
対義語である不完全も無いのである。

では人はどんな存在なのか?

『ぶっちぎり』の存在である。

完全と不完全という概念をぶっ壊す『ぶっちぎりの矢』そのものである。

『ぶっちぎりの矢』が心臓を貫き、時空間を超えて飛んでいく…

そこに何が在るのか?

光か? 闇か?

否、光と闇は二言論であり、
二言論は成立しないのである。
なぜなら完全不完全が無いからである。
(二元論なんてクソ喰らえ!!)

答えは『至福』である。
(対義語が見つからない。誰か知ってたら教えて下さい)

ぶっちぎりの矢そのものである人間は、
ただ至福の中をドンブラコと揺られているのである。
「いい湯だな♪」と。

以上の思考から導き出される答えは、

「人間はそのままでいい」

ということだ。

コメント

  1. onmyeyes より:

    至福 ⇨ しふく ⇨ 429 ⇨ よにく ⇨ 世に苦

    世に苦 ありて、至福 あり。

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