江原氏の守護霊、昌清との対話(創作)


(この3部作を読んでからいつからか声がするように…)

ぼく:何故俺に語りかける?
昌清:ぬしが呼ぶからじゃ。わしたちはどこにも在ろうぞ。
ぼく:江原さんの守護霊ではないの?
昌清:あの者とは狭義での類魂(ソウルメイト)。ぬしとは広義の上での類魂じゃ。さほど違いはないがな。
ぼく:充実した幸せな人生を送りたい。どうすればいい?
昌清:ぬしの言う幸せとは何ぞか言うてみよ、ならば存分に答えよう。
ぼく:生きることって何のためなのか分からない。それが分かると…
昌清:生きること、すなわち学び。学ぶために生きておる。苦しかろうがな。
ぼく:なぜ苦しまなければならない? 人はどうしてこの世に生まれ、死んでいかなきゃならないんだ?
昌清:苦しまねば学べぬからじゃ。ぬしたちは傲慢に生きておるからな。
ぼく:傲慢? 俺たちは好き好んでここに生まれてきたわけではない。どちらが傲慢だ?
昌清:ぬしは忘れ果ててしもうておるがな、ぬしがこの世に生まれ出でる前、ぬし自身が生まれたいと申したのじゃ。生まれたのはぬしの意志。環境も筋書きもぬしが協調の末に取り決めたこと。後悔がないように生きるのが先決じゃな。
ぼく:俺が日本で男として生まれたのも俺が決めたのか?
昌清:そうじゃ、時代も家族もすべて、ぬしの霊魂が合意の上で決定されたこと。分からんのも無理はなかろうて。
ぼく:運命というものなの?
昌清:その運命という言葉の定義が定かではないがな、運命とは己が意志でどうにも変えられる。生きておればいつでも修正は可能じゃ。そなたの心がけ一つと言ってよかろう。
ぼく:死ぬのが怖い。痛いのが嫌だ!!
昌清:死には痛みはない。肉体のなきゆえ。痛みとはどのような痛みなのか。肉体か精神か。
ぼく:両方だ。人間を想ったらすごく悲しい。
昌清:まず肉体。痛みとは生存の危険信号じゃ。その信号を素直に聞き入れよ。さすれば痛みは安らぐ。皆無にはならぬがな。なぜか。肉体とは物質。物質におけるぬしたちの世界では万物は流転するもの。それは大いなる御霊の定めし掟。ぬしたちを想ってのことじゃ、悪く思うなよ。
ぼく:何でこの世を創造したの? ぼくたちのためにだって?
昌清:ぬしの頭では想像を超える。大霊様のお計らいは偉大ぞ。そのことだけは決して忘れてはならぬ。
ぼく:昌清さんより偉いの?
昌清:当然じゃ。あの方は偉大なる我らの母。ぬしが日頃言うておる愛そのもの。愛の大海原じゃ。わしも早く近づきたいものよの。
ぼく:その母に近づけない? 昌清さんでも?
昌清:ああ、我らの世界もぬしたちと同様階層に分かれておる。しかしじゃ、ぬしたちの世界とは大きく異なる。我らの階層世界にはひがみ・嫉み一切ない。あるのはただ、あの方への憧憬、憧れだけじゃ。
ぼく:ぼくたちもその母の元へ行かなければいけないの?
昌清:無論。そのためにこの世が創られ、肉体という物質が構成されたと言ってよいだろう。ぬしもわしたちも皆家族、大いなる同胞。ぬしのその気持ち十分理解できるぞ。
ぼく:人生の目的がその母に会うためなら、ぼくたちはどうすればいい?
昌清:争いや差別を無くすことじゃ。わしらの世界のように。ただただぬしたち人すべてに愛を尽くし、あの方(御霊)への想いを忘れぬことじゃ。生易しいことではないがな。ところでぬしたちの世界の僧侶はどうも悟りというものを誤解しておる。悟りとはいと高きところにあるのではないぞ。分かるか。ほれ、ぬしの目の前におろう、ぬしに助けを求めておる者が。そなたはその者を力一杯助けるのじゃ。ぬしとそやつは同胞ぞ。我ら類魂の一部ぞ。なぜ助けぬ。なぜ理解しようとせぬ。失うことを恐れておるからじゃ。愚かしい考えじゃ。まあ無理はなかろうがな。欲望に捕らわれのぬしたちの精神は、まこと人そのもの。人を人たらしめるのが欲望ならば、人ならぬ御霊に近づくには欲を捨てることじゃな、少しづつ。さすれば近づける。それが人の生きる目的と言ってもよかろう。
ぼく:欲望を無くすなんてできないよ。
昌清:そなたたちの歴史を見ればそう考えるのも無理はない。むしろ欲望が膨れ上がっているように見受けられる。が、それも致し方のないこと。ぬしは我の声が聞こえる数少ない者。愛を伝えよ。だがそれもそなたの自由。ぬしはぬしの人生、自由に歩むがよい。我ら偏在する者たち。いつでも見守り続けておる。だから安心して励むことじゃ。
ぼく:何だかよく分からない。結局どうすればいい?
昌清:ぬしの、ぬしによる、ぬしのための人生。わしが命令する立場にはない。長居した、失敬する(消える)
・・・
ぼく:幻聴か?

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