4月 192015
 

20世紀の悪人の一人としてアドルフ・ヒトラーが挙げられる。
ですが彼は悪人ではありません。
なぜならもし彼が悪人であるならば、
彼を支持した当時のドイツ国民も悪人であり、
同じ悪人が彼は悪人だと蔑んでいるのは愚の骨頂です。
(ドイツの子らが悪に加担した親から教育を受けていますので、
ドイツでの犯罪は減っていないと思います。非を認める勇気を持ってほしい)

私は日本人です。
日本史には多くの戦争が起こったとあります。
私は彼らの血を引いていますし、
その悪の歴史の中でこうして日本人として生きることができています。

『人類すべて悪に関わらない人はいない』『人間とは犯罪者である』

ですが私は人類は悪ではないと主張させて頂こう。
なぜなら悪と思われる行為は反省点であり、
乗り越えるべき課題であり、
自分に足りない部分だから、
悪は反面教師と言えるでしょう。
つまり悪は必要であると。

「ならば我らの成長の為には、
悪を成すヒトラーのような人間が必要であり、
虐殺された人間も必要になるのか、ということなのか?」

違います。
悪は我らの心に内包されており、突如として狂犬のように飛び出てくるのです。
自身に潜む悪を抑制し退けるのです。
それに打ち克つ力を養うのです。
絶えず試されているのですよ、あなたの善なる力が成長しているかどうかを。

もし悪人ヒトラーのような人間を見つけたら
我々は『愛』の力でより善き方向へと彼を導かなければなりません。

そしてその力は自身の子供においても当てはまります。
ヒトラーにも子供時代がありましたし、
赤ちゃんの時は皆かわいい無垢なる存在でした。

「ではなぜ人は悪に加担し、犯罪へと流れ、染まり、悪の権化と化すのでしょうか?」

『人はすべて愛という神であり、それは一つのものなのだ』
という真理を理解していない人が多いからです。

「私は動物であり、快楽をむさぼる獣であり、虚無の中を生きている哀しい生物」

それが人間であると勘違いをしている人が多いからです。

「なぜ勘違いがあるのか?」

人は自由であるからです。
創造主の奴隷ではないからです。
勘違いを起こしても許されている大いなる自由を与えられているのです。
神は束縛などしません。

「その自由を支えているものがある。何か?」

責任である。
自由の中で「勘違い」を自らが選択した自身の責任において、
それが是正される課題が提出される。来世にて。
責任を持つということは依存の世界であるこの世からの自律である。
神は神において自律主体であるから、責任とは感謝すべきものなのです。
(難しい?)

最後に私がヒトラーの霊魂に送る愛の言葉です。
「ヒトラーは悪ではなく、勘違いをしてしまった弱者であり、愛を学ぶためにまた輪廻再生して下さい」

神はどんな人をも見捨てません。

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