死の恐怖はどこから来るのか?

私は死は怖くないと言った。
が死にたいと思うこともある。
生きるという修行が
こんなにも切なくてつらいものだから、
いっそ逃げ出したい、
肉体を脱ぎ捨てて、
あの世へと往きたい。
だがその時私は「まだ死にたくないよ!!」と叫んでしまう。
なぜだろう?

「我々誰しも平等に死という約束された運命が待つというのに、
なぜ死にたくないと思うのか?」

「死の先が未知だからか?」
(睡眠直前が怖い人いますか?)

※死=無を主張する人には恐怖などないはずだ。無という結論だから。

死にたくないというのは
もっと生きていたいという感情であるからして、
『生への渇望』と言っていいだろう。

「ではなぜその生への渇望が湧いてくるのだろうか?」
「精神に内在するどんな力が、生への執着を抱かせるのだろうか?」

内部へと向かうと、
か細い声が聞こえる…

…あなたのために何かをしたいの…もっとみんなとつながりたいの…

我々がこんなにつらくても生きていたいと思うのは、
あなたと私が愛し愛され
一つになりたいという思いから来るのだろうか。

であるならば死の恐怖という感情の正体は、
『愛の実践』がまだ足りないという
未練から来るものであると
私は思わなければいけない。

以上により、死の恐怖を克服する方法は、
愛の実践においてのみと思わず結論を出してしまったが、
私の死に際はどうなることやら。
自信は持てません(笑)

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