来世を決めるのは今の生き方。ならば努力することは楽しい。

我々は死んだら無になるのではない。
無の代わりに魂(真我)になる。
魂はあの世へ往き、
次の転生(地球人に生まれ変わる)に備える。

その時に転生条件を神(大霊)に熟慮される。

『どうすればこの魂は輪廻転生を早く卒業できるのか』という。

過去世において「魂はどんな経験をし、どんな感動を得たのか」

それが基盤となって
来世での自分の立ち位置が決められる。

国・時代・環境・性別・身体的特徴・性格・身分・親・兄弟姉妹・嗜好・開花すべき才能・乗り越えるべき試練など。

これは今の努力(経験)によって
来世を何とでもできるということにならないか?

美輪明宏さんは
我々は魂の向上という階段を絶えず登っているのだが、
どれだけ転がり落ちても元には戻らないと言っている。
1ミリでも向上しているのだと言う。
(私の補足:だから人間は他の動物に生まれ変わることはない)
それは正しい。
なぜなら経験とは神への憧憬がさせるものだから。

※注意しなければいけないのは、
我々は来世の幸福のために生きているのではない。
解脱(輪廻からの卒業)のために生きているのです。

努力って全く無駄にならないから楽しくないか?

ところで努力には2つに大別される。

1:楽しいことを追及する努力=修行
2:嫌なことでも我慢する努力=苦行

私は日本で生まれ育ち日本人として生きている。
その立場から言わせてもらう。

日本人って我慢しすぎじゃないか?
嫌なことは嫌なんだと自分にもっと正直になってもいいのではないか?

すべての経験が無駄ではない。
ならば楽しい経験を得たいという努力も無駄ではない。

努力は楽しいのであるから、
努力は楽しいものであってほしい。

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