4月 152017
 

人生の目的が分からない、
生きるということの意味を理解できない、
だから人は己の欲望のままに人を傷つけ、時に殺しをしてしまう。

もし人類すべてが「人生の目的」を理解し悟ったならば、
この世に争い事は一つもなくなる。
なぜなら人生の目的が争いならば、
我々はどうしてこんなに無益で無惨な争いの結果が悲しいと思うのだろうか?

「世界を1つへ」

悲しいと思う心が、他者への連帯意識となっている。

なぜ他者と我はつながるのか?

「魂は1つへ」

本来我々すべての魂は1つだった。
それがどんな理由であるのか、分離してしまった。
悲しい、切ない、憐れみ、悲恋、嗚咽、悔恨、後悔、慚愧、目覚め、勇気、挑み…そして再出発。

「魂を元のところへ」

神と一体化するために人類を導くことができる。愛の力で。

「神の方へと」

4月 152017
 

みんな「人生の意味」が分かっていないから、
下らぬことで争いをしてしまう。

もしすべての人類がその意味を理解できたら、
戦争のない世界にあっという間になるだろう。

人生の目的が戦争であるはずがない。断じて。
なぜなら戦争して多くの人が無惨に死んだのを知ったら、
どうしてこんなに僕らは悲しくなるのだろうか?
悲しいのが人生なのだろうか?
であるならばどうして人は生まれてくるのだろうか?

何か目的があるに違いない。
目的がないとはどうしても思えない。
「目的がある」そう思わせるというのも「ある」証拠なのかもしれない。

人生には人間に与えられた目的がある。
何だろう?

いやその前に誰が与えるのか?

神。

神が人間に押し付けてくるものは何だ?
神が我々に要求するものとは何?
神のメッセージとは?

「我が同胞よ、汝は神なり。我の元へ帰るのだ…」

私はどうしてこのように神を想起してしまうのか
未だ理解できずにいる。
日々探索は続けているが。

4月 152017
 

「人はなぜ生まれ、苦しみ、病に伏し、老いさらばえて死ぬのか?」
「何のために人は生きるのか、どうして生きなければいけないのか?」
「苦しみもがきあえぐ。それだけの価値が本当に人生にはあるのだろうか?」
「どうして苦痛があるのか? 死が無であるならば、そりゃ悲しい過ぎるだろ?

などのクエスチョンを駱駝のように背負う。

私はずっと考えてきた。
いつからだろうか、もう忘れた。
どんなに考えても答えが分からない。
本にも書いていない。
過去の賢者たちも同様に
悩み苦しんで死んでいったのを知ることができたことくらい。
一部の神秘主義者を除いて。

「生きることの意味」

あの頃の俺は「迷える子羊」だった。
全く分からなくてニヒリズムの深淵をのぞいたこともあるかもしれません。
(そこは暗くて寒いところ)
近くに麻薬があれば確実に手を出していたよ。
(酒井法子さんの気持ち分かるぜ)
環境も大事ですね。

この大いなる真理が分からなければ人類の本当の幸福はない。

「人生の目的」

分からない、俺は無知で無能で無力で無気力だった。
いつしか他人との距離を取るようになった。

答えの分からぬ俺に何ができる?

人を救いたい。でも救えない。
口を閉ざし、心に殻を作り出して、苦悩した。
俺は人類がとてつもなく哀しかった。
こんな俺でもせめて低所得のフリーターとして
この世の痛みを共感することぐらいしか。

だが真理への追求は止めなかった。

あきらめた時が死ぬ時だと思っていたから。

30歳を過ぎた頃になると
私の中に変化が起こり始めるようになった。
「人生の意味」はもしかしたらこうなのかもしれないという思考の変化。

驚いてしまった。

もっと自分の心と葛藤し、一片の迷いのないものとしなければいけない。

「絶対の真理」

私の探求は加速度的に確信へと変わることになる。

2月 062016
 

楽しい時間を探求するために即行動。
まず自分を楽しませろ!!
そのためにお金というものがあるのです。

後記:2016年の私の考えは
「成功した人生とは、どれだけ自分の人生を肯定できたか」
に変わりました。

8月 152015
 

ゲーテは「人は努力している限り悩む」と言ってます。
その通りですね。

私、今友達と上手くいかなくて悩んでるのよね。
俺、自分の将来をどうしていいのか悩んでしまって。

『すべての悩みは、現状をどうにか改善したいと思うところから生じている』

幸福を追求する時、人は悩む。
でもそんな悩みを持てるって
幸せなことなのですよ。
中には自分の幸せを
放棄してしまう人もいるのですから。
疲れてしまったのか、
あきらめてしまったのか分かりませんけど。

私は皆さんすべてに対して
「幸せでいなさい」と言っています。
幸せになっていい。
幸福を追い求めてほしい。

考えることの素晴らしさを
どうか捨てずに人生ハッピーになって下さい。
神様はそれを待っているのですから。

7月 102015
 

あなたは自身、幸せでありたいと思う。
だが私は「すべての人間の魂は一つだ」と力説している。
とすると
この苦しみにまみれ、
うごめく人間たちの世界で共に生きるということは、
本当に苦しいことなのだ。
魂が一つであるがゆえに(同苦心を抱く)それは正常なことなのです。
苦しみを異常だと思ってはいけない。
あなたの考える異常は、実は正常・普通なのだ。

ある者は病いに苦痛し、
またある者は失恋に心痛める、
望まれぬ孤児として生まれる者、
過大な期待に添えぬと悩む者、
今日のメシにも事欠く者、
朽ちていく身体にあって若さの記憶に回顧する者、
カネ勘定にひたすら追われる者、

-苦しい
-悲しい
-みじめ
-痛い
-恐い
-寂しい
-つらい
-切ない
(嫌だ嫌だ、やめてくれ!!)

それがこの世の普通ならば、あなたの苦しみは正常の枠内なのだ。
たとえあなたが今幸福の真っ最中にいるのだとしても、 それは逆に異常。
気をつけた方がいい。

「幸福=異常」
「苦痛=正常」

日々をおびえるな。
失うことを恐れるな。

「初めから幸せなど無いと思いなさい」
(偽りの幸福に酔いしれるな)

『苦しみの中を泳ぐこと』
(仏教では遊ぶと言う)

この世界、できれば優雅に泳いでみたいですよね。

5月 072015
 

「何のために生まれてきたのか?」という問いに対して、
「私はこれをするために生まれてきたのだ!!」
と即答できるようなものを見つけてほしい。

それはあなたの人生の課題です。
どうかやり抜いて下さい。

4月 302015
 

もし今日が人生最後の日だったら、あなたは後悔を口にしますか?
それはどのようなものですか。

人生最後の時を過ごす患者たちの緩和ケアに数年携わった、
オーストラリアのBronnie Ware さん。
彼女によると、死の間際に人間はしっかり人生を振り返るのだそうです。
また、患者たちが語る後悔には同じものがとても多いということですが、
特に死を間近に控えた人々が口にした後悔の中で多かったものトップ5は以下のようになるそうです。

1.「自分自身に忠実に生きれば良かった」

「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔。
Ware さんによると、これがもっとも多いそうです。
人生の終わりに、達成できなかった夢がたくさんあったことに患者たちは気づくのだそう。
ああしておけばよかった、という気持ちを抱えたまま世を去らなければならないことに、
人は強く無念を感じるようです。

2.「あんなに一生懸命働かなくても良かった」

男性の多くがこの後悔をするとのこと。
仕事に時間を費やしすぎず、もっと家族と一緒に過ごせば良かった、と感じるのだそうです。

3.「もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった」

世間でうまくやっていくために感情を殺していた結果、
可もなく不可もない存在で終わってしまった、という無念が最後に訪れるようです。

4.「友人関係を続けていれば良かった」

人生最後の数週間に、人は友人の本当のありがたさに気がつくのだそうです。
そして、連絡が途絶えてしまったかつての友達に想いを馳せるのだとか。
もっと友達との関係を大切にしておくべきだった、という後悔を覚えるようです。

5.「自分をもっと幸せにしてあげればよかった」

「幸福は自分で選ぶもの」だと気づいていない人がとても多い、と Ware さんは指摘します。
旧習やパターンに絡めとられた人生を「快適」と思ってしまったこと。
変化を無意識に恐れ「選択」を避けていた人生に気づき、悔いを抱えたまま世を去っていく人が多いようです。


↑黒澤監督のいい映画ですから観て下さい。

4月 252015
 

「常が無い=永遠ではない」

この世界にあるもの全てが永遠なもの・ことではない。
だから日本人はそんな世界に対して哀愁を込めて無常とみなす。
(断じて無情ではないよ)

仏教の『諸行無常』から来ている言葉なのだが、
なぜ「無常」が日本人の世界観をそう表してしまったのか?

思うに日本人は女性的感性が強いのだと思う。

この世は過酷で激痛を伴う。
分娩の苦しみにも似た世界とも言える。
だけれども出産には喜びがあるではないか。
新しい生命が誕生し、この世界で生き抜こうと挑戦する魂を持った赤ちゃん。
どんなに我々が苦しくても 隣りで愛くるしく笑っている、
そして泣き顔すらも可愛らしい。

小林一茶
「露の世は、露の世ながら、さりながら」

苦しかったら赤ちゃんのようにワンワン泣けばいい。
俺たちみんな赤ちゃんからスタートしたのだから。

4月 192015
 

私はやるべきこと(=夢)が見つからない。
何をして生きていけば自分にとって適切なのかそれが分からない。
人は私に何を求めているのだろうか?
私なんて必要とされていないのではないか?

こんなことに悩んでいる現代人は多いと思う。
一言でいうならば
「自分が魂をぶつけて取り組みたいもの(=使命)が分からない」ということだろう。

何だか皆「虚ろ」なんです。
江原さんの守護霊の昌清さんは
「道行く人の顔は皆死人の顔じゃ」と嘆く。

平和で衣食住満ちた日本で生きていればそうなるのも無理はない。
だが今の日本は本当の平和であると言えるのであろうか?
本当の平和とは戦争がないということだと定義したら、
人の心の中に戦争が起きているのではないか。
虚無との戦いが。

なぜ現代人は虚無を抱えるのだろうか?

虚無の代わりに神という魂が我々に内在していることを知らないから。

これは精神の冒険を乗り越えた果てにたどり着く
獲得しづらい崇高なものであるので、
知らないというのも仕方がないことです。
だからこそ人は社会的価値(地位・名声・お金)を求めようとする。
宗教的意義ではなく。

貧窮の時代には、衣食住を満たそうというのが目的として成り立った。
戦争でドンパチする時代には、人殺しはもう止めようという動きが許された。
それはすべきことがすぐ見つかる時代だと言えた。
(私はそんな時代を幸福だとは思わない。尊厳なる魂と向き合ってないから)

60億人が渦巻く世界にあって、
自己の存在意義を見失いやすい実存の危機的状況の中で
自分のすべきことである使命を見つけること。

あなたの使命を浮き彫りにするための方法がある。
やってみてほしい。

自分への『死刑宣告』です。

あなたが「3か月後に死ぬだろう」と
医者から告げられたと自分に言い聞かせたとする。

明日会社へ出勤しますか?
学校へ登校しますか?
居酒屋でグチ言い合いますか?
成績のために勉強しますか?
単身赴任で海外で働いてますか?
収入を今の2倍にするためにビジネスしてますか?
読み終えるのに10時間するような本を読みますか?

死すらも乗り越えさせようとする原動力となる行動。
その行動の最中である自己を分析した時、虚無がないことに気づく。
我欲がないことにもハッとするだろう。
その時何が我を支配しているのか?

「他者への愛」

つまりそれは『使命=愛ある行動』だと言える。

人が愛を為す時、たちまち虚無は消滅する。

使命を見つけるというのは非常にたやすいことなのだ。