4月 152017
 

※これは2013年の記事です。

江原さんのブログがないか探していたら見つけた。
それまで本しか書いていないと思っていた。
誤算。

でもなぜ今まで僕は知らなかったのか?

期(縁)が熟した時にだけその人に必要なものが与えられるから。

それにしても
この霊的真理を理解したとして
実践とは何と難しいことだろうか。

私の小我を神である大我へと強制連行させる時、
どうしてもそれにしがみついてしまう弱さを隠すことができない。

「失うことへの恐れ」

執着心まみれの物質界。
何という誘惑の多い世界でしょう。
克てるの? ほんとに。
私は自信が持てるまで
まだまだ苦悩しないといけないのかもしれませんね。

8月 232015
 


(この3部作を読んでからいつからか声がするように…)

ぼく:何故俺に語りかける?
昌清:ぬしが呼ぶからじゃ。わしたちはどこにも在ろうぞ。
ぼく:江原さんの守護霊ではないの?
昌清:あの者とは狭義での類魂(ソウルメイト)。ぬしとは広義の上での類魂じゃ。さほど違いはないがな。
ぼく:充実した幸せな人生を送りたい。どうすればいい?
昌清:ぬしの言う幸せとは何ぞか言うてみよ、ならば存分に答えよう。
ぼく:生きることって何のためなのか分からない。それが分かると…
昌清:生きること、すなわち学び。学ぶために生きておる。苦しかろうがな。
ぼく:なぜ苦しまなければならない? 人はどうしてこの世に生まれ、死んでいかなきゃならないんだ?
昌清:苦しまねば学べぬからじゃ。ぬしたちは傲慢に生きておるからな。
ぼく:傲慢? 俺たちは好き好んでここに生まれてきたわけではない。どちらが傲慢だ?
昌清:ぬしは忘れ果ててしもうておるがな、ぬしがこの世に生まれ出でる前、ぬし自身が生まれたいと申したのじゃ。生まれたのはぬしの意志。環境も筋書きもぬしが協調の末に取り決めたこと。後悔がないように生きるのが先決じゃな。
ぼく:俺が日本で男として生まれたのも俺が決めたのか?
昌清:そうじゃ、時代も家族もすべて、ぬしの霊魂が合意の上で決定されたこと。分からんのも無理はなかろうて。
ぼく:運命というものなの?
昌清:その運命という言葉の定義が定かではないがな、運命とは己が意志でどうにも変えられる。生きておればいつでも修正は可能じゃ。そなたの心がけ一つと言ってよかろう。
ぼく:死ぬのが怖い。痛いのが嫌だ!!
昌清:死には痛みはない。肉体のなきゆえ。痛みとはどのような痛みなのか。肉体か精神か。
ぼく:両方だ。人間を想ったらすごく悲しい。
昌清:まず肉体。痛みとは生存の危険信号じゃ。その信号を素直に聞き入れよ。さすれば痛みは安らぐ。皆無にはならぬがな。なぜか。肉体とは物質。物質におけるぬしたちの世界では万物は流転するもの。それは大いなる御霊の定めし掟。ぬしたちを想ってのことじゃ、悪く思うなよ。
ぼく:何でこの世を創造したの? ぼくたちのためにだって?
昌清:ぬしの頭では想像を超える。大霊様のお計らいは偉大ぞ。そのことだけは決して忘れてはならぬ。
ぼく:昌清さんより偉いの?
昌清:当然じゃ。あの方は偉大なる我らの母。ぬしが日頃言うておる愛そのもの。愛の大海原じゃ。わしも早く近づきたいものよの。
ぼく:その母に近づけない? 昌清さんでも?
昌清:ああ、我らの世界もぬしたちと同様階層に分かれておる。しかしじゃ、ぬしたちの世界とは大きく異なる。我らの階層世界にはひがみ・嫉み一切ない。あるのはただ、あの方への憧憬、憧れだけじゃ。
ぼく:ぼくたちもその母の元へ行かなければいけないの?
昌清:無論。そのためにこの世が創られ、肉体という物質が構成されたと言ってよいだろう。ぬしもわしたちも皆家族、大いなる同胞。ぬしのその気持ち十分理解できるぞ。
ぼく:人生の目的がその母に会うためなら、ぼくたちはどうすればいい?
昌清:争いや差別を無くすことじゃ。わしらの世界のように。ただただぬしたち人すべてに愛を尽くし、あの方(御霊)への想いを忘れぬことじゃ。生易しいことではないがな。ところでぬしたちの世界の僧侶はどうも悟りというものを誤解しておる。悟りとはいと高きところにあるのではないぞ。分かるか。ほれ、ぬしの目の前におろう、ぬしに助けを求めておる者が。そなたはその者を力一杯助けるのじゃ。ぬしとそやつは同胞ぞ。我ら類魂の一部ぞ。なぜ助けぬ。なぜ理解しようとせぬ。失うことを恐れておるからじゃ。愚かしい考えじゃ。まあ無理はなかろうがな。欲望に捕らわれのぬしたちの精神は、まこと人そのもの。人を人たらしめるのが欲望ならば、人ならぬ御霊に近づくには欲を捨てることじゃな、少しづつ。さすれば近づける。それが人の生きる目的と言ってもよかろう。
ぼく:欲望を無くすなんてできないよ。
昌清:そなたたちの歴史を見ればそう考えるのも無理はない。むしろ欲望が膨れ上がっているように見受けられる。が、それも致し方のないこと。ぬしは我の声が聞こえる数少ない者。愛を伝えよ。だがそれもそなたの自由。ぬしはぬしの人生、自由に歩むがよい。我ら偏在する者たち。いつでも見守り続けておる。だから安心して励むことじゃ。
ぼく:何だかよく分からない。結局どうすればいい?
昌清:ぬしの、ぬしによる、ぬしのための人生。わしが命令する立場にはない。長居した、失敬する(消える)
・・・
ぼく:幻聴か?

8月 232015
 

 

スピリチュアリストの江原啓之氏の
(確か上記の)本で書いたあったんですが、
(春山満氏の本にも同じようなことが書いてあった記憶がある…)

人間、自分よりも弱い存在に対して
すごく威張り散らして、
強い者にはヘエコラしてるの。
それは男女関係なく。
特に男だな(私の経験則から)

「弱き者を守ってこそ男なのに…」

現実は厳しいよね。
俺、時給のフリーターで働いているから
実感として分かるの。
俺よりできない正社員が威張ってるの。
アルバイトは下に見られているの、
道具として見られているの。
(実力で評価されているなら仕方がないが)

愛の布教は相当難しいですよ、江原さん!!
(私も宣教師の端くれです。力及ばずながらも)

この事実から導き出せる結論の一つは
「女性は障害者を産んではいけない」
(でも産んでみたいよね)
弱い者を守りたいという意志を持った男は少ないので。
寂しいですが、事実です。

というか、結婚はしない方がいいかもしれませんね。
(でも結婚したいよね)

もし私が正社員でずっと企業のレールに乗っていたら
どんな男になっていたのだろうな。
やっぱりアルバイトをコスト扱いしていたでしょうね。
(企業は営利集団だから)
だから今の自分の現状にも満足してます、
大きく学べたからね。
(おお、人生に無駄はない。それ正解)

『持つ者と持たざる者』という2層構造。

とかくこの世は生きにくい。
だからといって何もかも嫌になって
隠遁(世捨て人)してはいけませんよ。
“逃げ”だから。

世を変える最終兵器。
やっぱ愛か…

4月 172015
 

この世界はあまりにも厳しくてつらくて悲しいものだから、
江原氏の出現によって広まったスピリチュアルに逃げ込んでしまう人が出ている。
特に若い女性に多いと思う。

江原さんを始め本物のスピリチュアリストと呼ばれている人は、
(偽者もいます)
スピリチュアリズムというものは、
現実逃避の慰み物ではないということをはっきり言うだろう。

それは人生をよりよく生きる上での『羅針盤』の役割を果たすのであって、
その『羅針盤』が記す道筋を歩んでいけば、
神というゴールに近づくのがより早いというだけで、
人生の苦難から逃れられるわけではない。
むしろ苦難が一層強烈になるほどだ。
ハードルが高くなるゆえ。

スピリット(霊魂)が送っているメッセージとは、
現世(肉体)への軽蔑ではなく
現世(負荷)への感謝。

つまり上記から導かれたどり着く結論になるが、
スピリチュアリズムとは一言で表すならば、「苦難を愛せ」ということだ。

皆さんには自己の内に宿る魂という尊厳なるものに、
真摯に向き合い語りかけながら人生を生きてほしい。
今苦難の只中にいるのならば尚のこと。

ちなみに江原氏の功罪を言わせて頂くなら、
スピリチュアリズムの普及への貢献とその尊厳の低俗化だろうか。
(テレビに出過ぎたのがマズかったのかも)

人類がそれを使いこなすには、まだ先が長くなるのかもしれないね。

4月 112015
 

江原啓之氏は今の日本を「魂の乱世」だと言う。
日本人のことを「生きる感動を忘れ放棄した死人の顔たちとも言う。
細木数子女史は「魂の抜け殻」だとテレビで聞いたことがある。
2000年前のイエス・キリストは我らを「迷える子羊(Stray Sheep)」と仰せられた。
(夏目漱石『三四郎』『こころ』読んでみてね)

私はこう言う。
日本人は愛を求めて彷徨する「愛の孤児」だと。

若者に限らずすべての日本人が愛を確かめずにはいられない。

「俺、生まれてきてもよかったのかな?」
「私、みんなに迷惑になってないかな?」

魂の悲痛な叫びが日本全土を覆っている。

“なぜ皆、愛を確かめたいのか?”という疑問

【両親に十分に愛されて来なかったから】

「なぜ母さんは仕事ばかりで僕のこと見てくれなかったんだよ」
「どうしてお父さんは私とろくに口も聞いてくれなかったのよ、仕事が忙しいのは分かるけど」
「僕はただかまって欲しかっただけなんだ」
「いっしょにおしゃべりしたかっただけなのよ」

「ひどいよ、どうしてもっと私(俺)愛してくれなかったんだ!?」

愛は愛されないと理解できない。
愛されないことには愛し方が分からない。

両親の愛を十分にもらえなかった人たちにここで言うよ。
親にだって親なりの事情があったんだ。
親である前に1人の傷つきやすい悩める人間。
彼らも親に愛されずに今まで生きてきたのかもしれないね。
だから愛情の表現を知らなかった。
どう子供に接していいのか分からなかった。

許してやってほしい。

せめて自分の子供だけには力一杯の愛を注いでやってほしい。

愛は確かめ合うことではなく、
信じ、受け入れ、許す
「生まれてきてくれてありがとう」と。

4月 082015
 

江原啓之氏は「自殺をしてはいけない」と繰り返し言う。
確かにそうだろう、この世で生きる目的が“魂磨き”ならば。

だが僕は反論したい。どうか言わせてほしい。
「自殺してしまう経験も、かけがえのない貴重な経験」なのだと。
(断っておくが、自殺しろ!! とは決して言っていない)

自殺してしまった経験がなくて、どうして自殺者の心が理解できるのか?

『この世で生きるすべての人間を、魂を通して理解する』
(神は大いなる愛によりすべてを理解されておられます)

そのためには経験しなくてはならない。
多くの経験があなたの霊性を高め、神に近付けさせる。
なかでも“強烈な経験”こそが魂に刻み込まれ、来世へと継承される。
上っ面の経験などは記憶の彼方に忘れ去られるだけだ。
ならばいっそ自殺寸前まで思い詰めるような苦悩を味わってしまうのがよい。
頑なに神を求めるならば。

『自殺者を嘲笑ってはいけない』
『負け犬だと決めつけてはならない』

彼らの魂の冥福と共に、
己の魂の一層の成長を心に誓おう。

迷える自害者の霊魂を昇天させる導きの“鎮魂歌”をつぶやきながら。

4月 072015
 

これも続いて藤田紘一郎教授の同本から引用してみる。

日本の若者は、せっせと体を洗う。「アライグマ症候群」にかかっている人が多いという。最近、顔や体を洗いすぎによって、皮膚病にかかる若い人が増えている、ということを皮膚科医たちは指摘している。

人間の皮膚には表皮ブドウ球菌や黄色ブドウ球菌をはじめとする約10種類以上の「皮膚常在菌」という細菌類がいて、私たちの皮膚を守っている。これらの皮膚常在菌は皮膚の脂肪を餌にして脂肪酸にしている。したがって、正常なヒトの皮膚は「弱酸性」なのだ。皮膚が酸性であると、外から病原菌が侵入してきてもそれを寄せ付けない仕組みになっているのだ。

1回のお風呂で石けんを使うと、皮膚の常在菌の90%ぐらいが洗い流されるという。しかし、12時間経過すると、残りの10%の菌が増殖して元に戻る。したがって、1日1回、お風呂に入って普通に洗う、ということであれば大丈夫ということになる。しかし、強力な洗浄力のあるボディシャンプーを使い、ナイロン製タオルでごしごし洗ったり、1日2回以上お風呂に入り石けんで洗ったりすると、皮膚常在菌がいなくなってしまうというわけだ。

では実際に洗いすぎはどんな皮膚病を招いているのだろうか。

洗いすぎは皮膚常在菌を取り除いて、皮膚を中性にしているばかりか、皮脂をはがし、アトピー性皮膚炎や乾燥性皮膚炎を発症させる引き金となる。最近、若い人でも冬になると、皮膚がカサカサになり、かゆくて仕方がないと訴える人たちが増えている。

洗いすぎで問題になるのは、薄い膜をはって私たちの皮膚を守っている皮脂膜とその下の角質層だ。正常な角質層だと、細胞が密に手を組んで何層にもわたって存在し、ホコリや、ダニなどアレルギーを引き起こす原因物質や、病原菌などの皮膚深部への侵入を防いでいる。

しかし、洗いすぎによって皮膚膜がはがれると、角質層にすき間が生じ、皮膚を組織している細胞がばらばらになっていく。その結果、皮膚に潤いを与えている水分の多くが蒸発して、いわゆる乾燥肌、ドライスキンとなるのだ。

新しい角質層が生まれてから死ぬまで、皮膚はおよそ1ヶ月のサイクルで新旧交代が繰り返している。ところが、肌をごしごし洗うことで、そのサイクルが狂わされてしまう。デリケートな肌を守るためには、洗いすぎないように自分を意識づけるしかないだろう。
(以下略)

簡単に言うと『洗いすぎるな』ということに尽きる。
何度も風呂に入ったり、必要以上にゴシゴシ洗ったりすると、
皮膚に潤いを与える成分の細菌が死滅してしまうことになるし、
角質層まで破壊し炎症を起こしてしまう。

僕自身も特に冬場は乾燥肌のかゆみに悩んでいる。
なるべく顔は水で軽く洗い、(目ヤニを取るだけ)
固形石けんで頭、腋、股間、足の裏を洗っている。
あとはお湯で洗い流すくらいだ。(湯あがりにタオルで拭くからきれいになっている)

それは若い人だけではなく、
50、60歳くらいの人の顔にも炎症を起こしている人を見かけるので、
これは日本の現代病ではないかな。
江原啓之さんもアトピーに8年間くらい悩んだそうだが、
かなり辛かったらしい。
肉体を脱ぎ捨てたくなるほどだそうだ。

お風呂好き日本人よ、
『洗いすぎるな』
細菌だって生きている。
悪い細菌ばかりではないんだよ。
お風呂なんて入らなくたって死なない。
清潔好きも極端になれば病気だ。
(現に病気を引き起こすの!!)
ほどほどに、ほどほどに。

4月 072015
 

神のメッセンジャー(霊能力者)は
さまざまな災難に遭って、
一般人より過酷な苦難を味わう宿命を持つ。
なぜならばそうすることで
さまざまな人々の苦しみを理解できるようになるためだ。
「苦しみを理解する」とは、
魂で共感し、人類の魂が一つであることを悟るきっかけになるのだ。

この世に生まれ堕ちた時、
我々の魂すべては、肉体にからまり、もつれ合ってしまう。
魂はこの世の“物質界の法則”に釘付けにされるのだ。
霊能者である魂は一刻も早く、それから解放しなければならない。
苦難を通じて魂を揺さぶり、生まれてきた意味を覚醒させるのだ。
『霊的真理』を多くの人間に広めたい!! という意味を。

江原さんも美輪さんも苦労の多い人生を歩んできたと言われる。
その苦労に負けない魂の強さがあるからこそ、
『霊的真理』を広める宿命を受け入れることができたのだろう。
(凡人ならば魂が耐えきれず自殺してしまうのに)

でも歴史上最高の霊能力者であるイエス・キリストは、
どれくらいの苦難を経験して…あんな…

4月 072015
 

守護霊、地縛霊、天使、過去世、未来予知…
それが見えたり、分かったりしたら
この世の何が変わるの?

苦しみの世界には違いないよ。(釈迦も言っているでしょ?)
そんなことは100キロのバーベルを持ち上げることができると
同じ理屈だな。
持ち上げることができるのは、持ち上げられないよりはいい。
オーラが見えるのは、見えないよりは人にアドバイスができる分いい。
それだけだよ。

江原さんや美輪さんは見えるみたいだけど、
僕にしたらそんなの偉くも何ともないね。

一番すごいと感心するのは
「この世を懸命に生き、少しでも美しく魂を磨いている」こと・人。

僕にはオーラなんて見えません。
見たいとも思いません。
見たいものがあるとしたら、人が懸命に一心不乱に生きている姿くらい。
霊視なんて言って来る人間は端から信用しない。
(だって僕の内部に神様が宿っているもの)

スピリチュアル(今ちょっと過熱気味?ブームだから)
なんて言葉に現実逃避しないで
この人生を精一杯生きようよ。
どうやって生きていけばいいのかなんて
心に内在する偉大な神様が教えてくれるさ。
日々の言動を内省し、心の声に耳を傾ければ。
僕はそうしてるし、これからだって…
魂は神だからね。

4月 072015
 

人生の意味:神に近づくこと
生きる意義:魂を磨くこと
地球の存在:魂たちの修行の場
人間の苦難:トレーニングメニュー
神仏の証明:己を信じること

江原啓之さんは言う。
「死んだら無になるのなら、この世に正義も何もないではないか?」と。
(世界は混沌無秩序で悪徳不正がまかり通っているはずだ)

ドストエフスキーは「すべては許される」と言う。
死んで無になれば〈責任追及〉ができないということからこう言っている。

なぜ人間世界は悪徳がはびこる混沌世界に陥らないですんでいるのか?
なぜ絶えず“愛の力”や“善なるパワー”がこの世界を維持しようとしているのか?

『死は無ではないから』(魂がそれを無意識で自覚している)

『よって人生は無駄ではない!!』

すべてに“神”のメッセージ=“意味”が秘められている。
無意味なものは何一つないのだ。

よし人生が無駄ではないならば、いっちょ生きてみようか。
新しい決意を奮い立たせよう。