4月 162017
 

完全と不完全との定義を
この世における僕らの頭で考えるのは
ナンセンスではないだろうか。

完全って何だ?
神学者は「完全=神」と言うのか。

完全であるならば、それは安定思考に陥って怠惰が生まれないか。
「怠惰=堕天」とするならば、それは罪を作り出さないか。

『堕天使=人間』

『大いなる神から剥がれ落ちた不肖な子供たち=小なる神である我ら』

もし絶えず向上を目指さない安住の神ならば、
我らに示しがつかぬ。
範を垂れるのがリーダーだからだ。
流転する物質界でさまよい歩く我々に向かって

「サボってないで早くこっちへおいでよ」

愛の言葉を届けるために、絶えず向上という美波を送り続ける。

「私、いつまでもきれいでいたいの」

向上とは永遠に美であり続けること。

「不完全な神」とは永遠の愛のことかもしれない。

4月 152017
 

江原啓之氏は言う。

「大いなる神は完全ではない」なぜなら「小なる神である我々が完全ではない」からと。

俺たちがこの世で頑張って生きるのも、
すべては「大いなる神との一体化」が目的です。
その大いなる神(グレートスピリット)が不完全なら、
この世での修行をめでたく終えても、あの世でも修行しなくてはいけないことになる。
どんな修行なのか分からないが、修行というのはしんどいものだろう。
(楽な修行なら何も向上できない)

グレートスピリット(理想)という
ゴールを目がけて頑張るのがすべての霊魂の意義であって、
そのグレートスピリットが不完全なら、虚しいじゃないか!?
ゴールのないマラソンなんて途方にくれてしまうだろ?

私は大いなる神は完全であると思いたい。
そうであらねばならないと思い込みたい。

「神が不完全なんて嫌だよ!!」

でもそうなると(そうしてしまうと)
神が完全ならば、完全ではない俺は神でないことにならないか?
イコールでないから。

神でない自分を認めたら、
神と一体化するという人生の目的も無意味になる。
(神でなかったら、神になれないだろ? ダイヤの原石だから磨けばダイヤになれるのさ)
そっちの方が虚しい。

私には「神は不完全である」という理由がまだ分かっていないようだ。
思考を続ける。

【後記】
神は完全でも不完全でもない。
二言論で表現するのはナンセンスです。

4月 152017
 

私の疑問に回答してくれた人がいます。
「つまりグレートスピリットが完全ではなくなったその原因は何かということです」

メタたろうという方の回答(おそらく男性でしょう)

グレートスピリットは完全性が根拠を必要としないことだ
ということを知らなかったからではないですか?

覚りを必要とする完全性が最初から存在します。
1つのものを2つに分けた理由は自分を自覚したかったから。

その誕生の以前から無自覚に
「完全性は既にあった。」
という状態は今の世と相似ですね。

「違う点は神が悟った。あーよかった。」では終わらなかったということでしょうね。

神が悟るために必要としていた「写し鏡=人間(世界ですね)」は一人歩きを初めて、
神とは別の『意志』を持つわけですね。

(仮に全てはひとつ、であろうとも、
今はひとつではありませんし、別個の意志を持つのが事実です。)

そこで、神様は満足して、片付けをするがごとく
「おもちゃ(人間・世界)を片付けよう。」
というわけには行きません。

なぜなら、おもちゃは自分自身でもあります。

分身は悟っていません。

これの繰り返しです。

全てを悟るには部分が悟れない矛盾を克服せねばなりません。

それは低次元での悟る主体を必要とします。

源は「完全なる存在」というよりは「完全性を自覚した存在」という立ち位置で、、、
「最初は完全性を疑った存在」でもありますよね。

これはフラクタルで、、、ズート続きてきたはずです。

完全なだけでいいなら人間は必要ないはずですから。

自然は既に美しいわけで、完全な調和を示しています。

それで  時系列で言うと

下図を診てもらうとわかりますが、
覚りというのはイタチごっこなんですよね(苦笑)

原因があって、結果が在るなら・・・・

ひだりが始まりで次元が進むに連れて、一つ前は悟ると・・・。

   (次元が進む)    (次元が進む)      (次元が進む)
神⇒次の存在      ⇒次の存在        ⇒次の存在      ⇒・・・
   (前元の神は悟る) (前元の存在は悟る) (前元の存在は悟る)

・・・・⇒人間⇒(低次元の何か・・・があるかも?)

となるわけです。

ということは、人間はなにかこの先を見て悟るのは
この宇宙が生まれた原因を踏襲するわけですね(笑)

学びがないので、放置されて
勝手に同じ次元で悟ることを期待されているのではないでしょうかね?

というわけで、覚りを必要としない次元上昇とでもいうものが、
この問題の解決の糸口と鳴るわけですね(笑)

ただし・・・・

こういう視点もありますよね。

このような世界が生まれた状況を「メタ視点で見れる存在です。」

    <メタ視点の上位存在X>

   (次元が進む)    (次元が進む)      (次元が進む)
神⇒次の存在      ⇒次の存在        ⇒次の存在      ⇒・・・
   (前元の神は悟る) (前元の存在は悟る) (前元の存在は悟る)

きっとこう思ったはずなんですよ。

    <メタ視点の上位存在X>「おー、完全だねー。」

神が一つだった時 :(内的葛藤・私は何ものなのか!?ひとつと呼ばれた何者かは、自覚ができない)

    <メタ視点の上位存在X>:既に先が見えるね・・・。

               (次元が進む)
神           ⇒次の存在        :内的葛藤の発生
↓             (前元の神は悟る)
「おー、俺って完璧!だったんだー!」

    <メタ視点の上位存在X>:覚りのテーマの物語のつもりはなかったんだけどなー。。。

   (次元が進む)    (次元が進む)      (次元が進む)
神⇒次の存在      ⇒次の存在        ⇒次の存在      ⇒・・・
↓   (前元の神は悟る) (前元の存在は悟る) (前元の存在は悟る)

「次を見て悟った!」の連続

ということで、

人間は「前を見て悟る」という所に特殊性があるわけですね。

これは次元が進めば進むほど顕著になります。

後悔を先に立たそうと。。。

ここからは独自解釈になります。
答えのない問題ではありますので、
仮説の一つとしてごらんくださいませ。

アセンション前までは「覚り・悟り」ということがテーマだったのだと思います。

つまり、人間とは何か?(自分とは何か?)がメインテーマだったと言うわけです。

で、神はこれに飽きた(満足した)わけですね。

で、おもちゃを片付けようと思ったんですが、それはおかしいだろと

神(おもちゃから神に格上げされた原初とは違う何者か)が言うわけです。

だから、アセンション(2010年の前後3~6年ぐらい)は

悟りアフターをどう過ごそうか?という話になって、

「幸せに生きてみようか!?」となったのではないかなと・・・・。

仮に霊的な確証を得られる
霊媒師の方がおられたら
確認してみたい所ではありますが・・・

過去、神として現世卒業をされた人達が
再度転生していると思うんですね。

世界がこの世仕様からあの世仕様に換装されていった。

それで、あの世(あるいは神界)というものが在るとして、
「上がりを経験したもの。悟ったもの」が経験する世界を
低次まで全て適用しちゃおうぜ☆

ということになしたと。

結果として、神はこの世でも学べるようになった。

それでアセンションとは何だったか?
と言うと、、、、

「過去の過ちを認める」ということだっったのではないかなと・・・・。

モナド論的な世界で言えば
「全てが独立して、全てが調和している」
という矛盾を感じる世界観があります。

この調和を担うシステムが
おそらく、神にフィードバックする(元に戻して、元から直す)
という事だと思うのですね。

モナド論的な「予定調和」は結果で、
モナドは独立しながらも相互に影響しあっているように「見える」のも結果であり、
原因は初期値に依存するのであれば、

おそらく、初期値をモナドはいじくって
干渉あっているだろうと。

つまり、人間の動向が
ビックバン以前(神がひとつから別れる前)に
フィード・バック(コミュニケーション)していて、
そもそも、世界を最初から正す効力が在る。

という世界観ですね。

そうなってくると、
アセンションの意味は変わってくるわけですね。

神「自分を自覚したい!」⇒「自覚した」⇒「この学び終わり!」

アセンションとは
「学びが完了した(自分とは何か?がわかったら)、どうする?」
というタイミングです。。。

その結果

「片付ける(修了!)」の派閥と
「再利用(転用でもいいですよね)」のグループに分かれて、

既にプレイヤーがさんざんいるので
「やってみようか、再利用」

と言った感じになったのだと御考えています。

そんなわけで、

アセンション以前の情報は後から考えれば
まるわかりなことばっかりやってます

しかし、アセンション以後は
目的が変わっているはずです。

そういう意味で言うと、
やる気が出なかった(当時)

というのも頷けますよね。

ところで、「不完全と思った」のではなく、
これは多分手段の位置です。

神のストーリーは「覚り」です。

「一体化」は人間のストーリーですよね?

ここを履き違えると、
話は間違った解釈を繰り返します。

今日はこのくらいで。

興味があればURLからお問い合わせしてくださいませ。
茨木市に私も住んでいます。

理由があれば、
私に会うこともあるかと思います。

頑張ってください。
(以上)

今僕はこれは何を言わんとしているのか思考中です。
でも答えは自分の中にあると確信がある。
内に神が宿っているから。

4月 152017
 

このDVDで江原さんは
スピリチュアリズムの研究が始まる前に
1848年アメリカで初めてポルターガイスト現象が起きたと言う。
その年にはマルクスが共産主義宣言し、
唯物論的思想が萌芽した年でもある。

「霊的なものと物質的なもの」の同時発生。

そしてその年にはアメリカの西の方で
金(ゴールド)が発見されたという歴史もある。
翌年の49年から本格的に「金を求めて西へ行け!!」という運動が盛んになる。
(ちなみにこの49フォーティナイナーズはアメフトのチーム名にもなっている)

ゴールドラッシュのwikiです。

『シンクロニシティ』(共時性・同期性)

もし“私”という存在にも意義を求めるなら、
その“私”を必要としている人間がどこかに必ずいるということかもしれませんね。
(アンチ“私”もいることでしょうが)

“私”というちっぽけな存在という自棄は間違い。

なぜって
世界に蠢いている人間たちの魂のうねりは、
一つの方へと先駆し目がけている。
そこにあなたも私もすべて同期しているからだ。

「目覚めよ」

4月 152017
 

※これは2013年の記事です。

私はいいと思ったものは素直にいいと思う。
誰がしていようがやっていようが、いいものは「いいじゃん」と認める。
(その時全力で嫉妬心を押さえ込む)

俺もただいま36歳で
自分よりも若い人が活躍しているのを見ると
やはり「若造の分際で…」と思うのは否めない。
アカンね、そんな狭い心じゃ。

「いいものはいい」
「いい人はいい」

素直な心が今の自分を美しくしていく。

『小我を大我へ』

日々修行ですね。

【後記】

「我以外皆師」
という言葉もあるそうです。
誰であってもどんなことであっても
いいところを積極的に見つけ出して取り入れようと思う。

4月 152017
 

「人間=未熟な神」よって「神(グレートスピリット)は完璧ではない」

「人間はこの世で修行して神を目指す」
すなわち「神は完璧なあり方を絶えず目がけている」

1、グレートスピリットがより向上を目指す存在なら、
その神をそうした・そうさせた・そうあらしめたのは何なのでしょうか?
どんな理由があったのでしょうか?
(この日本語の意味を分かって下さい)

2、何でグレートスピリットは不完全になったのか?

3、すべてのグループソウルがグレートスピリットと一体化することが
神が完璧になるということでしょうか?

それは偉大なる神のゴールですね。
一体化という物語(ストーリー)の終焉。

そういうことなんでしょうか?

4、そもそも何でそんなストーリーがあらねばならないのでしょうか?
ストーリーの誕生の意味は何なのでしょうか?

★つまりグレートスピリットが完全ではなくなったその原因は何かということです。
(ややこしくてすいません)

返答をお聞かせ下さい。
よろしくお願いいたします。

4月 152017
 

※これは2013年の記事です。

江原さんのブログがないか探していたら見つけた。
それまで本しか書いていないと思っていた。
誤算。

でもなぜ今まで僕は知らなかったのか?

期(縁)が熟した時にだけその人に必要なものが与えられるから。

それにしても
この霊的真理を理解したとして
実践とは何と難しいことだろうか。

私の小我を神である大我へと強制連行させる時、
どうしてもそれにしがみついてしまう弱さを隠すことができない。

「失うことへの恐れ」

執着心まみれの物質界。
何という誘惑の多い世界でしょう。
克てるの? ほんとに。
私は自信が持てるまで
まだまだ苦悩しないといけないのかもしれませんね。

8月 232015
 


(この3部作を読んでからいつからか声がするように…)

ぼく:何故俺に語りかける?
昌清:ぬしが呼ぶからじゃ。わしたちはどこにも在ろうぞ。
ぼく:江原さんの守護霊ではないの?
昌清:あの者とは狭義での類魂(ソウルメイト)。ぬしとは広義の上での類魂じゃ。さほど違いはないがな。
ぼく:充実した幸せな人生を送りたい。どうすればいい?
昌清:ぬしの言う幸せとは何ぞか言うてみよ、ならば存分に答えよう。
ぼく:生きることって何のためなのか分からない。それが分かると…
昌清:生きること、すなわち学び。学ぶために生きておる。苦しかろうがな。
ぼく:なぜ苦しまなければならない? 人はどうしてこの世に生まれ、死んでいかなきゃならないんだ?
昌清:苦しまねば学べぬからじゃ。ぬしたちは傲慢に生きておるからな。
ぼく:傲慢? 俺たちは好き好んでここに生まれてきたわけではない。どちらが傲慢だ?
昌清:ぬしは忘れ果ててしもうておるがな、ぬしがこの世に生まれ出でる前、ぬし自身が生まれたいと申したのじゃ。生まれたのはぬしの意志。環境も筋書きもぬしが協調の末に取り決めたこと。後悔がないように生きるのが先決じゃな。
ぼく:俺が日本で男として生まれたのも俺が決めたのか?
昌清:そうじゃ、時代も家族もすべて、ぬしの霊魂が合意の上で決定されたこと。分からんのも無理はなかろうて。
ぼく:運命というものなの?
昌清:その運命という言葉の定義が定かではないがな、運命とは己が意志でどうにも変えられる。生きておればいつでも修正は可能じゃ。そなたの心がけ一つと言ってよかろう。
ぼく:死ぬのが怖い。痛いのが嫌だ!!
昌清:死には痛みはない。肉体のなきゆえ。痛みとはどのような痛みなのか。肉体か精神か。
ぼく:両方だ。人間を想ったらすごく悲しい。
昌清:まず肉体。痛みとは生存の危険信号じゃ。その信号を素直に聞き入れよ。さすれば痛みは安らぐ。皆無にはならぬがな。なぜか。肉体とは物質。物質におけるぬしたちの世界では万物は流転するもの。それは大いなる御霊の定めし掟。ぬしたちを想ってのことじゃ、悪く思うなよ。
ぼく:何でこの世を創造したの? ぼくたちのためにだって?
昌清:ぬしの頭では想像を超える。大霊様のお計らいは偉大ぞ。そのことだけは決して忘れてはならぬ。
ぼく:昌清さんより偉いの?
昌清:当然じゃ。あの方は偉大なる我らの母。ぬしが日頃言うておる愛そのもの。愛の大海原じゃ。わしも早く近づきたいものよの。
ぼく:その母に近づけない? 昌清さんでも?
昌清:ああ、我らの世界もぬしたちと同様階層に分かれておる。しかしじゃ、ぬしたちの世界とは大きく異なる。我らの階層世界にはひがみ・嫉み一切ない。あるのはただ、あの方への憧憬、憧れだけじゃ。
ぼく:ぼくたちもその母の元へ行かなければいけないの?
昌清:無論。そのためにこの世が創られ、肉体という物質が構成されたと言ってよいだろう。ぬしもわしたちも皆家族、大いなる同胞。ぬしのその気持ち十分理解できるぞ。
ぼく:人生の目的がその母に会うためなら、ぼくたちはどうすればいい?
昌清:争いや差別を無くすことじゃ。わしらの世界のように。ただただぬしたち人すべてに愛を尽くし、あの方(御霊)への想いを忘れぬことじゃ。生易しいことではないがな。ところでぬしたちの世界の僧侶はどうも悟りというものを誤解しておる。悟りとはいと高きところにあるのではないぞ。分かるか。ほれ、ぬしの目の前におろう、ぬしに助けを求めておる者が。そなたはその者を力一杯助けるのじゃ。ぬしとそやつは同胞ぞ。我ら類魂の一部ぞ。なぜ助けぬ。なぜ理解しようとせぬ。失うことを恐れておるからじゃ。愚かしい考えじゃ。まあ無理はなかろうがな。欲望に捕らわれのぬしたちの精神は、まこと人そのもの。人を人たらしめるのが欲望ならば、人ならぬ御霊に近づくには欲を捨てることじゃな、少しづつ。さすれば近づける。それが人の生きる目的と言ってもよかろう。
ぼく:欲望を無くすなんてできないよ。
昌清:そなたたちの歴史を見ればそう考えるのも無理はない。むしろ欲望が膨れ上がっているように見受けられる。が、それも致し方のないこと。ぬしは我の声が聞こえる数少ない者。愛を伝えよ。だがそれもそなたの自由。ぬしはぬしの人生、自由に歩むがよい。我ら偏在する者たち。いつでも見守り続けておる。だから安心して励むことじゃ。
ぼく:何だかよく分からない。結局どうすればいい?
昌清:ぬしの、ぬしによる、ぬしのための人生。わしが命令する立場にはない。長居した、失敬する(消える)
・・・
ぼく:幻聴か?

4月 172015
 

江原啓之さんはオーラや守護霊が視える。
斎藤一人さんは光の玉を視た。
美輪明宏さんは霊が視えると言っている。
木村藤子さんのことはよく知りませんが、美輪さんが本物と言っている。

私に関して言えば霊(スピリット)なるものは視えませんし、
今まで一度も視たことがありません。
股間の金の玉はたくさん見ています。(笑)

「そんな私がなぜ霊的真理の普及を願い、こうして皆様にお伝えしたいのか?」

『霊的真理の共有が世界平和の唯一の道』だからです。

霊的真理とは人生の目的です。
目的のない人生は悪の方向へと流れやすい。
現に世界では争い事が絶えません。(もちろん日本でも)
非常に悲しいことです。

この転換期の現世において
私がそれを使命とするのも偉大なるもののお導きかもしれませんね。

全国にいる「目覚めた人たち」の内の1人として
彼らと共に私も使命の中で生きていこうと思っています。

4月 172015
 

この世界はあまりにも厳しくてつらくて悲しいものだから、
江原氏の出現によって広まったスピリチュアルに逃げ込んでしまう人が出ている。
特に若い女性に多いと思う。

江原さんを始め本物のスピリチュアリストと呼ばれている人は、
(偽者もいます)
スピリチュアリズムというものは、
現実逃避の慰み物ではないということをはっきり言うだろう。

それは人生をよりよく生きる上での『羅針盤』の役割を果たすのであって、
その『羅針盤』が記す道筋を歩んでいけば、
神というゴールに近づくのがより早いというだけで、
人生の苦難から逃れられるわけではない。
むしろ苦難が一層強烈になるほどだ。
ハードルが高くなるゆえ。

スピリット(霊魂)が送っているメッセージとは、
現世(肉体)への軽蔑ではなく
現世(負荷)への感謝。

つまり上記から導かれたどり着く結論になるが、
スピリチュアリズムとは一言で表すならば、「苦難を愛せ」ということだ。

皆さんには自己の内に宿る魂という尊厳なるものに、
真摯に向き合い語りかけながら人生を生きてほしい。
今苦難の只中にいるのならば尚のこと。

ちなみに江原氏の功罪を言わせて頂くなら、
スピリチュアリズムの普及への貢献とその尊厳の低俗化だろうか。
(テレビに出過ぎたのがマズかったのかも)

人類がそれを使いこなすには、まだ先が長くなるのかもしれないね。